なおと世界見聞録(ミャンマー編)

こんにちは!


なおとです。


中国の空港でチェックインできず、チェンマイを経由して1日遅れで入ったミャンマーもいよいよ旅立つ時が来ました。


ミャンマーのイメージを簡単に表すと、東南アジアの中でも比較的発展が遅く、外国文化があまり浸透していないといったところでした。


しかしその中でも日本との関わりを意識する場面が多くありました。


その象徴は自動車です。


ミャンマーを走っている自動車の多くは『ホンダ、マツダ、日産、トヨタ、三菱』など日本企業の自動車です。


さらに驚きはバスです。


僕が見た70%近くのバスは日本の中古車でした。
日本で使わなくなったバスを政府が集めてミャンマーへ送っているそうです。
そのまま利用しているので、「○○県
教育委員会」や「○○幼稚園」、「株式会社○○」といったようなものもたくさんありました。


中古車なので内装・外装ともに汚い、エアコンが効かない、明らかにおかしい音がする、シートベルトがないなど日本では考えられないようなバスばかりでした。


それでも、そのバスに乗ると注意書がすべて日本語で書かれているのを見るとなんとなくホッとした気分になりました。


それと同時に、そのようなバスを見る度に、「自分がずっと着ていたけれど、汚れや破れたなどの理由で捨てようとした服をたまたま新しい服を買えない人がいたからあげた。」といった気持ちになりました。


情けとは、優しさとは、同情とは何なのでしょうか?


自分が使わなくなったものを必要としている人がいるなら、あげればいいと思う人もいると思います。
でも、そこに経済的な理由や立場に差があるときは僕は複雑な気持ちになります。

 


外国の文化が浸透していないなと感じた場面もいくつかありました。


一つ目は服装です。


ロンジーと呼ばれるミャンマーの伝統衣装を纏っている人が男女関係なく都市にも多くいました。
見た目はとても大きいバスタオルを腰に巻いてるといった感じです。
綺麗なショッピングモールでデートしている若者がロンジーを纏っている姿も見ました。


二つ目は化粧です。


化粧という表現が正しいのか分かりませんが、ミャンマーでは木を削ってそれを水と混ぜたものをローションとして使っています。
それをシャワー後に塗るのですが、顔にはそれを多めに使い乾いたときに模様になるように塗ります。
ミャンマーでは、ほっぺに木目色をした模様がある人を度々見ることができます。


三つ目は高い建物、外国風の建物が少ないということです。


僕は首都のヤンゴンにも数日間いたのですが、マンションやタワーのようなものはほとんど見ていません。
外国風の建物も少なく、観光地は仏教系の建物か遺跡、もしくは自然系のものでした。
ただマンションや高層ホテルの建設予定地などはいくつか見かけたので、これからどんどん街の様子が変わっていくんだろうなと思います。


このように海外文化の影響を大きく受けず、ミャンマーの伝統が色濃く残る背景には、民主化されてまだ数年しか経っていないことがあげられると思います。


これまで閉鎖的だったことが東南アジアのその他諸国に比べて海外の影響を受けてないことに繋がっているのだなと感じました。


東南アジアの中でも、少し他国とは違った雰囲気を味わえるミャンマーを一度訪れてみればいかがでしょうか?

 

6/4 記

 

ワークキャンプ(ミャンマー編)

こんにちは!


なおとです。


ミャンマーへは二週間ほど滞在していたのですが、そのうち10日程度は首都ヤンゴンから車で4時間ほど離れた小さな村でボランティアをしていました。


英語が通じる人はおらず、キャンプリーダーの通訳か雰囲気でしか会話ができない10日間でした。


ここから村のことについて少し書いていこうと思います。


まずは“住”です。


村の真ん中には、Monastery(修道院)があります。
そこには大仏のようなものがあり、そしてお坊さんが住んでいます。
他にも数人の子供たちが過ごしていました。
村の人たちが何かあると集まる場所になっているみたいでした。
僕がその村に着いてすぐに案内されたのもこのMonasteryでした。
さらに僕の寝床もこのMonasteryです。
個人的にはこれが一番辛かったです。


暑いのにも関わらず風通しが悪く、寝るときも汗が止まりませんでした。
コンクリートの上に藁を一枚引いて寝るというスタイルだったので、なかなか疲れも取れませんでした。
そして何より、ゴキブリなのか、アリなのかよく分からない虫たちが僕の体をよじ登ってきます。
寝るのがとても億劫な日々でした。


村の住民は高床式の家に住んでいる人が多く、壁は木や藁ということがほとんどでした。
床も所々穴が空いていて、よくその穴に唾を吐いていました。
高床式だと、やはり虫の数は相当減り過ごしやすかったです。
一日だけ村の住宅で寝させてもらったのですが、とても快適でした。

 


続いては“水”です。


水道は通っていなくて、基本は井戸水です。
シャワーや洗濯、洗顔、歯磨きも井戸水を使いました。


シャワーや洗濯はまだしも、歯磨きかど自分の口入れる水が濁っていて鉄のにおいがするのはやはり抵抗がありました。
かといって、しないわけにはいかないので渋々使っていました。


食事の飲み水として、その濁った水が出てきたときはさすがに飲めませんでした。
住民達はその水を普通に飲んでいますが、僕はずっと買ってもらったペットボトルの水を飲んでいました。

 


次は“食”です。


ミャンマーのローカルフードを毎日食べれたことは良かったです。
そして意外に美味しかったです。


おかずがそれぞれのお皿に分けられているのを好きなように取って、自分の皿に盛りつけられているご飯と混ぜて食べます。
おかずの種類としては、鶏肉や豚肉、ドライフィッシュ、ローカルな野菜、卵、スープなどが基本でした。


村の人たちはスプーンなどを使うことなく、右手だけで食べていました。
僕が食べるときは毎回、スプーンとフォークを用意してくれました。
都市部だと、スプーンとフォークを使うのが普通みたいです。


あとはマンゴーがほぼ毎食デザートとして出てきました。
買っているというよりはその辺の木から採れるマンゴーです。
日本では高くて普段あまり食べませんが、僕一人で10日間に20個近く食べたと思います。
とても甘くて、僕は宮崎マンゴーを食べたことないのですが、おそらくそれに匹敵するのではと勝手に思っています。

 


最後は“人”です。


おもてなしを本当にたくさん受けました。


例えば…
ご飯の間ずっとうちわで僕を仰いでくれる。
洗濯物を洗うのを手伝ってくれる。
たくさんの家庭に招かれご飯をご馳走になる。
アメや果物など一人食べる量じゃないくらい渡してくれる。
少し離れたところに行くときは大抵、バイクの後ろに乗せてくれる。
地面が滑って危ないときは必ず誰かが僕のそばで僕を支えながら一緒に歩いてくれる。


こういったことがたくさんあり、たまに罪悪感をもつほどに、最大のおもてなしを受けました。


おもてなし=日本というイメージが僕の中で強かったのですが、僕はこの村での方がおもてなしを受けたなと感じました。
おそらく、どの国に行っても小さな村や集落ではこういったおもてなしの心はあるのだと思います。


東京のように都市になるにつれ、個人で生きることが強くなり、おもてなしの心は徐々に薄れていくのだと思います。
東京で僕がこの村で受けたおもてなしは経験できないと思います。


そんな東京がある日本がおもてなしの国だといわれる理由は“ビジネスおもてなし”が優れているからだと思います。


つまり単なるお客様社会です。
確かにお客様に対してのおもてなしのレベルは諸外国よりも高いと思います。
しかし、それは心のこもっていないおもてなしです。


お客様のためのビジネスおもてなしを日本が世界に誇るおもてなしだと少し勘違いしてたのかなと思いました。
本当に誇れるおもてなし精神を築いていければいいなと思いました。


少し村の人とは話が逸れましたが、村の人たちと関わって思ったことです。

 


最後にボランティアについて少しだけ書きます。


ボランティアですが、雨の影響やキャンプリーダーが積極的ではなかったことにより正直あまりできていないのです。
ボランティアがどうだったかといわれると特に感想はありません。


僕はこの後も3回ボランティアに参加するつもりですが、すべて1ヶ月もないくらいの期間です。


正直な思いとしては、ボランティアをして自分の持っている何かを使って現地に貢献しようとは思っていません。


そういう思いが強いなら、長期間で同じところにいると思います。
僕がそうしないのは、僕は学びたいという気持ちの方が大きいからです。


現在の僕は短期間で人に何かを与えられるほど能力はありません。
また僕が経済学や環境などの専門分野に詳しいわけでも、日本語以外の言語が話せるわけでもありません。
そんな僕が短期間だけ農業や教育を手伝ってもその他大勢の人たちとたいして変わりません。
世の中にあるほとんどボランティアは専門性が必要ではなく、誰がやっても大きな変化はないと僕は思っています。


ですから、僕はボランティアで何かを与えようとは思っていません。
現地の人と同じように暮らして同じ目線に立って同じことをしたとき何を得られるのかなと思ってボランティアに取り組んでいます。


そしてその中で僕と関わっていく上で現地の人たちや一緒にボランティアをするメンバーが僕から何かを学んでくれたとしたらそれが一番最高の形だなと思います。


現時点での僕のボランティアにたいする考え方を書いて終わりにしようと思います。


ボランティアでは世界を変えられない。
ボランティア自体にそれほど大きな意味はない。
ただその後に繋がるきっかけとしては大きな意味を持つと思う。

 

6/4 記

 

日本に帰ったらやりたい50のこと

こんにちは!


なおとです。


ふと日本に帰ったとき何がしたいかなと考えると以下のようになりました。


特におもしろくも何ともない50のことです。


富良野でドライブをする
◎On Our Wayを聴きながらハリウッドザドリームに乗る
◎彼女と洗面所の鏡の前に並んで歯磨きをする
◎ご家庭に訪問させてもらう
◎お母さんの豚汁とポテサラを食べる
◎母校で講演会をする
◎自分だけの世界一周アルバムを作成する 
◎畝傍のメンバーで野球をする
レ・ミゼラブルのミュージカルを見る
◎ギターを練習する
◎ぼらいやー17期全員と再会する
◎有給インターンをする
◎誰かと日本の歴史と展望について語り合う
マクロ経済学を体系的に学ぶ
◎Mー1グランプリに出る
◎中学の野球部と先生を含めてご飯に行く
◎彼女と江ノ島散策をする
◎お兄ちゃんとキャッチボールをする
◎モグバザに行く
◎ゼミの飲み会に参加する
オリックス戦を見に行く
千鳥ヶ淵で花見をする
◎大桟橋で昼寝をする
◎もつ鍋を食べる
◎お父さんとトリキに行く
◎2017年に流行った曲を聴く
東方神起のLIVEに行く
◎オケオールをする
◎綺麗な夕陽を見る
◎読書を習慣化する
◎イチゴ狩りをする
万葉倶楽部の温泉に浸かる
◎キムタクのドラマを見る
◎大人エレベーターをやってみる
◎サーフィンをする
◎スイーツビッフェに行く
吹奏楽を聴きにいく
◎富士山に登る
◎断捨離をする
◎少しだけオシャレになる
男性学の講義を聞く
◎スリール横市会を開く
◎ニノゴのメンバーで飲みに行く
◎ちょっとだけ面白いことを言う
◎広いキッチンで料理をする
◎着物を着る
◎高級な和食を食べる

◎彼女の写真をデジカメで撮る
◎雪を見ながらback numberの“ヒロイン”を聴く
◎みんなに「ただいま!」って言う


6/2 記

 

恐ろしき思考

こんにちは!

 

なおとです。


今日は僕がよく陥ってしまう良くない考え方について書こうと思います。
僕がしばしば陥ってしまう悪い考え方にゼロイチ思考があります。


ゼロイチ思考とは、物事を両極端にしか見れない思考です。

 

例えば、
あの人は好きか嫌いか
受験に成功したか失敗したか
イベントに行って良かったか悪かったか
今日は幸せな1日だったか不幸せな1日だったか


などなど二つしかない選択肢や結果ばかりを意識してしまいます。


でも世の中はそんなに単純ではありません。


今日1日のミャンマーの天気にしても、朝は晴れていたのに、時々曇ったりしていますし、これから雨が降るかもしれません。


一日の天気を“晴れ”というように一つの結論にできる日の方が少ないと思います。
それと同様に、僕たちが過ごす毎日はとても複雑です。


もしあなたに好きな人がいたとしても、365日24時間ずっと同じように好きということはないと思います。
同様に嫌いな人も基本的に嫌いだとしても、その人に助けられて瞬間的に良い人だなと感じたり、良く思うことはあると思います。


しかし、たいていの人はこれから待ち受ける未来への選択肢やすでに起こった過去の結果をゼロかイチのいずれかに分類して単純化しがちです。


ゼロかイチに分類してしまった方が楽なことが多いからかもしれません。
自分にとって良いか悪いかはっきりするのですから。


しかし、この考え方は時として自分の可能性を狭めてしまいます。


未来のことをゼロイチ思考で考えてみてください。


これから進む道はたったの2つしかありません。
成功か失敗かの2つしかない未来ほど恐ろしいものはありません。


現実はゼロイチのいずれかに分類されるほど単純ではないのに、自分の意識の中でゼロイチに分類してしまうことがよくあります。


0.1もあれば、0.55もある。
もしかしたら-0.1や1.5などもあるかもしれません。
0か1の二択では表しきれない曖昧な領域が存在します。


これから厳しい未来が待っている人にこそゼロイチ思考を辞めてもっとたくさんの選択肢をもって欲しいと思います。


白黒の間にあるグレーを見ながら過ごすことを考えていきたいです。

 

ゼロイチ思考について書かれたブログを紹介します。

http://jibunlife.hateblo.jp/entry/20151227_zero-one-thinking

 

6/1 記

 

モラトリアムを考える

こんにちは!


なおとです。


今回はまだ休学をして2ヶ月ほど、世界一周のために日本を出発して二週間ほどしか経っていない僕が大学や休学について思ったことを書いていきます。


僕が今の大学に入ったことや一年間休学したことが果たして良かったのか悪かったのか今は分かりません。
おそらく10年、20年の時が過ぎても分からないと思います。
今やっていることが正しいかどうかは多分永遠に分からないんだと思います。


ただ“過去”が“今”を、“今”が“未来“を創っていることは間違いないです。
だから今をどのように生きるかは大切なことだと僕は考えました。


その中でも大学の四年間をどう過ごすかは非常に重要です。


最大の理由は自由だからです。


この大学の期間はモラトリアム期間だと言われることがあります。

 


モラトリアムとはE.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語です。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさします。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立していきます。

コトバンクより)

 

日本の大学は海外の大学に比べて、卒業するのが簡単で、勉強しなくても単位が取れると言われています。
実際、週に一回程度しか大学に行かなくても卒業できるという大学や学部は多いと思います。


もちろん、大学は勉強するところですし、現在の緩い状況を変えることができればいいです。
しかし、日本の大学が諸外国に比べて甘いのは最近に限ったことではありませんし、制度や風土も変える必要があり、一朝一夕で変わるものではありません。


では、この現状を嘆くのではなく、個人的に日本の大学制度をプラス面を考えてみるといいと思います。


日本の大学のメリットは、自由であることです。
自由は大きな武器であり、落とし穴でもあります。


自由を武器として使うためには次の3つのことが重要だと思います。

 


一つ目は、自分に向き合うこと。
時間があって様々な経験ができるからこそ、自らとの対話を忘れずに向き合うことが大切だと思います。


二つ目は、将来について考えること。
これは自分だけでなく、世の中全体のことも含めてです。将来を想像して不安になるのではなく、希望を持つことが大切だと思います。 


三つ目は、尊敬する人を見つけること。
尊敬する人になろうとする必要はなく、その人から多くのことを学ぼうという姿勢を持つことが大切だと思います。

 


この3つを忘れずに過ごせば大きな力になると僕は信じています。


日本の大学生というモラトリアム期間はとても貴重な存在です。


僕はこの大学生の間に何をするかではなく、何を考えながら過ごすかが大切だと思っています。


何をするかは、何を考えながら過ごすかの具体的な行動指針にすぎません。


つまり、この大学生活では何をしてもいいんだと思っています。


酒に入り浸ろうが、
勉強に没頭しようが、
サークルに入ろうが、
学生団体を立ち上げようが、
インターンをやってみようが、
毎日読書に勤しもうが、
恋愛に夢中になろうが、
寝ること中心の生活になろうが、
それ自体に深い意味はありません。


大事なのはこのモラトリアムをどのように捉えて、いかに過ごすかを自分で考えることだと思います。
僕はこのモラトリアムを日本で大学に通っているからこそ得られる貴重なものだと考えました。


休学も同様に、緩いとはいえ僕の生活にある程度の強制力をもつ大学から一度離れて、究極のモラトリアムを得られると思いました。
世界一周をしながら、自己と向き合い、将来を考え、尊厳する人を見つけていきたいと思っています。


日本においても就職状況の厳しさや景気の悪さからモラトリアム期間は消滅したという声をよく耳にします。

 

それならばなおさらラストチャンスです。

 

今ならまだギリギリ手に入るモラトリアムを改めて考えてみましょう。

 

5/29 記

 

外国に興味のない国、日本

こんにちは!


なおとです。

 


いきなりですが、SDGsを知っていますか?


SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)とは、ミレニアム開発目標Millennium Development Goals:MDGs)に続く2016年から2030年までの国際目標です。


2015年9月25日から27日にかけてニューヨーク国連本部に161の加盟国の首脳が集まり開催された「国連持続可能な開発サミット」にて策定されました。保健や教育分野などのMDGsの残された課題や、近年の国際社会が直面しているグローバルな問題(世界経済危機・自然災害や気候変動・環境問題・伝染病・難民や紛争など)の対処のため、新たに17の開発目標・169項目のターゲットが掲げられています。
http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/

 


SDGsを知らない、もしくは聞いたことはあるけれどよく分からないという人が多いのではないでしょうか?


僕も聞いたことはあるけれど、内容を説明しろと言われてもできません。


今回ミャンマーに来て、仲良くなったミャンマー人の友だちにSDGsを知っているか?と聞かれて、簡単に話し合う時間がありました。


定められた目標の17つを全て見たときの正直な感想は、「もちろん日本は完璧ではないけれど、たいていの問題は解決されていたり、8割から日本にとってはあまり関係ないんじゃないかな」でした。


この感想が僕の頭に浮かんできたとき、自分でも正直驚きました。
なぜなら、僕は自分自身のことを国際問題に興味がある人だと思っていたからです。
日本には関係ないから、あまり深く考える必要はないんじゃないかなと少しでも思った自分にびっくりしました。


そして冷静にこのことについて考えてみました。


そして気づいたことが二つあります。

 


一つ目は「日本は恵まれている」ということです。


留学などに行ってきて現地の人と触れ合った人がよく政治や世界情勢の議論についていけなかったなどと言っている場面があると思います。
僕はこの話を聞くたびに、日本の若者はダメだなぁとか、世界の学生は凄いなと思っていました。


しかし、よく考えてみると意外とこの事実は当たり前なのかもしれません。
つまり、現在の日本では諸外国ほど自国に対して不満がなく、さらに近隣諸国の影響を受けにくいのだと思います。
もちろん0というわけではありませんが、比較的少ないからこそ政治にも国際情勢にも興味を持ちにくいのです。


つまり、日本人学生が世界中の学生と政治や国際情勢について議論できない最大の理由は自国が恵まれているということなのだと思います。

 


二つ目は「そうはいっても日本も厳しい状況にある』ということです。


一つ目と正反対のことを書くことになりますが、現在の日本が恵まれているからといって今後も安泰というわけではないです。
現在の日本に多くの課題があるのは周知の通りです。


その課題を解決しなければならず、諸外国に目を向けている余裕がないと言えるかもしれません。
アメリカやEU各国で自国ファーストの動きが強まる中、果たして日本はどういう道を進めばいいのでしょうか?
ほぼ単一民族であり、外国に対して目が向きにくい日本人はやはり国際問題に疎くなるのは仕方のないことなのかもしれません。


自分の中にこうした気づきがありました。


そして自国のことを一番に考えながらもグローバルな目線で諸外国と協力することは難しいのだなと改めて思いました。

 

5/27 記

 

東京が恋しい

こんにちは!


なおとです。


日本を出発して一週間以上経ち、トラブルが起きながらも身体の方は特に問題なくやっています。
精神状態の方は前回も書きましたが、トラブルが起きたときにとても落ち込みましたがたくさんの人のおかげで立ち直りました。


再チャレンジしたミャンマーも無事に入国できました。


ミャンマーにはボランティアをするために来ました。
ミャンマーで僕がしているボランティアを簡単に説明します。


場所はミャンマーの首都であるヤンゴンから車で3~4時間走ったところにある小さな村です。


そして国際ボランティアなのに、外国人は僕しかいません。


ボランティアメンバーは僕とボランティアリーダーだけです。
つまり、ミャンマー人しかいない小さな村に1人だけ外国人(日本人)がいる状態です。
さらにこの村にこれまで外国人が来たことはなく、初めて見る外国人が僕という人がほとんどらしいです。
そのせいか、この村に到着すると50~60人の人が僕を見に来ました。
写真も撮って欲しいと頼まれ、ちょっとだけスターになった気分でした。


そんな初めての外国人に村の人は本当に優しくしてくれます。
子供たちもミャンマーの言葉をたくさん教えてくれます。


しかし、今の僕の状況を端的に言うと辛いです。
なぜかというとボランティアをさせてもらっている環境が僕にとって耐え難いものなのです。


ネット環境がない。
ご飯がおいしくない。
施設が汚い。


僕はこのあたりを想像していました。
しかし、現実はこの想像の遙か上をいっていました。


シャワーを浴びると行って連れて行かれた場所は完全に濁った井戸水が溜められた桶みたいなものがあるところ。


寝る場所もコンクリートの上に薄いシートが一枚だけ広げられたところで寝ていても、アリやハエやゴキブリなどが自分の体を登ってきます。


そして気温が高すぎます。日本の真夏と同じくらいの気温のなのですが、エアコンなし、扇風機なし、風通しが悪いの三拍子が揃っているので、夜寝るときも汗が止まりません。
自然に囲まれ、近所の人は家族のような環境で生活をし、電気ガス水道も引いていません。


日本の暮らしに飽き飽きしている人なら羨ましいと思うかもしれません。
僕も少し憧れていました。
しかし、憧れていた、思っていた環境とは全然違いました。


汚い、暑い、プライベートな時間は全くない、寝ても疲れ取れないなどなど正直このボランティアが終わる日が待ち遠しいです。
そんなことをずっと考えていると、なぜか実家の奈良ではなく、日本の大都会である東京が恋しくなります。


やはり文句は言いながらも、たいていの人は原始的な生活ではなく、近代的な生活をしたいから村から街、街から都市のように発展させて行くのだと思います。


今思うことは…


東京のオシャレカフェでゆっくりくつろぎたいです。

 

5/26 記