グローバルスタンダード

こんにちは!

 

なおとです。

 

僕にとって訪れた初めての先進国はアメリカです。

 

中国も上海や香港だけを見れば先進国と呼ぶこともできるかもしれませんが、行っていないので分かりませんが都市部を離れるとそうは呼べないと思います。

 

これまで訪れた発展途上国と日本を比較してみると、制度や技術という点においては大抵日本の方が上回っているかとが多いと感じました。

 

しかし、アメリカにくるとそうではありません。

日本にはない素晴らしい制度や技術があります。

 

何を持って素晴らしい、上回っていると判断するのかは難しいですが、みなさんなんとなく感じていることだと思います。

 

例えばアメリカが生んだ世界的大企業GoogleMicrosoftFacebookなどはアメリカの法律や個々の高い能力があったからこそだと思います。

 

またアメリカではありませんが、北欧などでは男女平等指数ランキングで高い位置に属していますが、国の政策や人々の意識が大きな役割を果たしていると思います。

 

では、日本はそれらの国と同じような制度を取り入れ、考え方を変えるべきでしょうか?

 

ある国の何かを模倣して、日本が良くなるなら間違いなくそうすべきでしょう。

 

しかし大切なのはそのプロセスです。

 

最近よく見たり聞いたりして疑問に思うことがあります。

 

このようなデータをよく目にしませんか?
f:id:natoto17:20171105181623j:image

https://s.news.mynavi.jp/news/2013/12/13/057/ 出典)

 

世界の有給休暇消化率を比較したものです。

 

確かに諸外国に比べて低いですし、由々しき事態だと思います。 

 

しかし、たまに

「ヨーロッパではこんなに高いんだから日本もそうすべきだ!」

「欧米と比較すると日本終わってるwww」

「アメリカ最高、日本も見習え」

といった意見を聞きます。

 

しかし事の本質からは相当ズレていると思います。

 

なぜ諸外国に日本が合わせるべきなのかという議論が疎かになってしまっているのではないでしょうか?

 

あくまで日本のある問題を解決するための手段として外国の制度や考え方を取り入れるべきであり、外国の制度や考え方を導入する事自体が目的ではないはずです。

 

外国との比較データを目にしたとき、日本も他の国々に合わせていかなければとついつい思ってしまいがちですが、本来の問題は何かということを振り返るべきです。

 

世界標準が必ずしも正しいとは限りません。

 

成人年齢の引き下げや夫婦別姓、カジノの合法など海外と比べてどうかではなくて、日本にとって一番良い方法について考えるべきだと僕は思います。

 

11/4 記

自分のやりたいことをやっていいの?

こんにちは!

 

なおとです。

 

アメリカか来て1ヶ月が経ちました。

あと1ヶ月しかない現状に焦りを感じ始めています。

 

“働く”といえば、アルバイトくらいしかしたことのない僕は将来どのような業種で働くのだろうか、どのように働くのか想像がつきません。

 

もちろん自分が何に向いているのかも分かりません。

 

 

kintoneでインターンをさせてもらうようになって実際に企業で働く方を目の当たりにして僕は「将来、こんなふうに働くことができるのかな?」と思いました。

 

先日、日本の社会人が集まるnetworkikgに参加してきたのですが、そのときも同じように思いました。

 

そもそも話している内容についていけません。

これは学生ということもあるので仕方ない部分もあると思います。

特にITに疎い僕は顕著に話についていけなくなることがあります。

 

そして何よりこれまで日本でもたくさんの社会人の方々のお話を聞かせてもらいましたが、業種的に自分にピンとくるようなものがありませんでした。

 

大変勉強なることはたくさんあり、尊敬する方にも出会いました。

 

ただその仕事をしたいかと言われるとピンときませんでした。

 

自分の興味がどこにあるか分かりません。

 

ただこれまでに一つだけ興味を持ち続けている分野があります。

 

 

それは政治やそれに伴う国際や歴史についてです。

 

ネットがつながる地域にいるときは政治ニュースを必ずチェックしています。

 

旅をしていても一番気になるのは、食べ物や遺産ではなく、その国の文化や歴史です。

(行った国のことが気になって後々調べることが多いです。)

 

アメリカの格差と白人至上主義者が産まれた原因。

ルワンダの国際社会を意識した独自の開発方法。

コスタリカの軍隊持たずに生き残る外交努力。

 

などなど行った国、これから行く国で楽しみにしていることはこのようなことが多いです。

 

ある国で執られている制度や定着している文化を見たときに、羨ましいとかかわいそうなどの感情ではなく、先になぜこの形になったのかという経緯が知りたくなります。

 

 

僕の現在の興味、関心を生かすなら分野的には政治家、ジャーナリスト、記者などになるのかなと思っています。

 

ただ危険が伴う職業でもあり、プライベートも少なくなり、実際就く(就けるかどうかは置いておいて)となるとデメリットも大きいのだろうなと感じます。

 

またこのような分野は対立を生むことが多いということもあります。

 

 

自分のやりたいことをやるということは簡単なことではないですね。

 

将来僕はどういう職業に就けばいいのでしょうか?

 

10/27 記

サイボウズの魅力

こんにちは!

 

なおとです。

 

僕は10.11月とサンフランシスコに滞在しています。

 

その理由はkintoneという会社でインターンをさせてもらっているからです。

 

kintoneの親会社はサイボウズという日本のIT企業です。

 

グループウェア市場で国内トップシェアを誇り、最近では働き方において度々話題になる企業です。

 

先日は、日経新聞に「働き方改革に関するお詫び」という広告を出して大変話題になりました。

 

そんなサイボウズという会社の魅力について、僭越ながら書きたいと思います。

 

サイボウズといえば、最長6年の育児、介護休暇制度や育自分休暇制度、ウルトラワーク、選択制人事制度などが注目されます。

 

もちろん、このような制度は他の企業では見られないような素晴らしいものですが、僕はそういう制度を支えるための考え方が最大の魅力だと感じます。

 

特に僕が共感をしたのは多様性に対する考え方です。

 

うちの会社には多様性がないと考えるのではなく、“すでに多様なメンバーが集まっている”という考え方に強く共感しました。

 

 

これは僕が海外を旅していて感じることでもあります。

 

日本にいると、最近ではそうでもなくなってきましたが、外国人と触れあう機会がそれほど多くないと思います。

 

島国であることや民族がほぼ一つに近いような状態であるので、日本で過ごしていると同じような人たちばかりの集まりだと思ってしまいます。

 

特に海外へ行って、肌の色も言葉も体つきも全く違う人を目の当たりにするとなおさらです。

 

しかし、僕が海外で出会う外国人と日本人を比べたときに外国人が必ずしも自分と違う点が多く、日本人が同じだとは思いませんでした。

 

日本人であっても、出身地が近くても、自分とは全く違う生き方や考え方を持っている人がたくさんいます。

 

それを忘れて外国に行かないと多様性がないと少しでも思っていた自分が恥ずかしくなりました。

 

 

サイボウズでは、すでに多様なメンバーが集まっているという考え方ですが、それはどのようなグループにおいてもそうだと思います。

 

もちろん、その程度はありますし、例えば日本人グループに1人の外国人を入れるだけで大きく幅が広がることもあります。

 

ただ土台として、多様性がないと考えるのではなく、すでに多様で性が存在すると認識してみるだけで自分が学べることも多くなり、グループ全員の力が生かせるのではないかと思います。

 

 

そして、多様性において大切なことは『決しては自分との違いを全て受け入れることではなく、自分は相手とは違うんだと認識すること』だと思います。

 

自分と意見が異なる人物と話し合うときに「話し合えば分かり合える」ではなく、「自分とは違う」ということを確認するだけで、自然と相手のこと、自分のことが分かるようになるのではないでしょうか?

 

全てを受け入れることはできません。

しかし、あの人は自分とは違うと認識することはできるはずです。

 

 

僕はサイボウズで働く人の話を聞いていてそう思いました。

「多様性」の本質を鋭く突いている企業がサイボウズです。

 

10/23 記

 

 

 

関白宣言

こんにちは!

 

なおとです。

 

 

関白宣言という曲を知っていますか?

 

若い世代なら知らない人は多いと思います。

 

https://www.uta-net.com/movie/1435/

↑知らない人向けです。

 

 

昨年末、長友佑都選手と結婚した平愛梨さんが「関白宣言が理想」という発言をして物議を醸しました。

https://www.nikkansports.com/m/soccer/world/news/1756128_m.html?mode=all

 

昭和の人間かよ!

今時を何を言っているんだ!

というような意見が多くあったようです。

 

率直に僕が思ったのは、他人の結婚生活なんだから関係ないだろと。

 

芸能人とはいえ、結婚をすることも、その後の結婚生活がどうあってもいいはずです。

 

共働きをしようが、どちらかが一歩引くよう関係であろうが、週末しか合わない生活であろうが別に構いません。

 

しかし、昨今“男女平等”について社会の声が大きくなるにつれて、専業主婦になることや女性が一歩引いた態度みたいなものが批判されがちです。

 

それでうまくいってるなら良いじゃないかと思うのですが…

 

長友佑都平愛梨カップルが“平愛梨が一歩下がって耐え忍ぶこと”で円滑に幸せになれるのならそれが一番理想系なのではと思いました。

 

 

そして、そもそも関白宣言は男尊女卑を歌っている曲ではありません。

 

パッと聞き流して、あっこの曲は男尊女卑を助長する曲だと決めつけるのはあまりにも軽率です。

 

最後にはオチがあります。

そればかりではなく、聴いている人によってたくさんの解釈ができる曲であるとも思います。

 

 

 

僕は平等なんてあり得ないと考えています。

関係性や環境、時期などによって平等の在り方を変えるべきです。

 

夫婦だけではありませんが、平等を目指すのではなく、2人の理想や幸せを一番に考えることが大切だと思います。

 

亭主関白であろうが、完全平等であろうが、女性の力が強かろうが、正解はありません。

 

女性が一歩下がったところにいることが不幸だと決めつけてしまうのは残念だなと感じます。

 

それは個人個人が自分の意志で決めることが一番良いのだと強く思います。

 

 

ちなみに僕が亭主関白になりたいとか、女性には耐え忍んでもらいたいと思っているわけではありません。

 

10/20 記

 

 

 

 

意味なんてない!

こんにちは!

 

なおとです。

 

みなさんは日々生きているなかで、"意味"についてどのくらい考えますか?

 

早起きをする意味。

バイトする意味。

飲み会に行く意味。

Instagramに写真を投稿する意味。

神社に行って神様に手を合わせる意味。

恋人と付き合う意味。

 

世の中、意味のないことだらけです。

 

大抵のことは他人から見れば、意味のないことのように思います。

 

その時は自分にとって一大事であっても振り返れば大したことがなかったということなんて日常茶飯事です。

 

 

では、僕たちの人生にはどのような意味があるのでしょうか?

 

僕は意味のないことをどれだけ意味を持たせられるかだと思います。

 

先日のある一日のことです。

ふと、朝インターンへ向かう途中、僕がインターンをしている意味について考えました。

すると、僕が旅をしている意味、僕がアメリカへ来た意味、僕が今歩いている意味はなんだろうという思いが溢れ出てきました。

 

その時に僕は感じました。

 

何もしなければ何も生まれない『無』の状態から何かを生み出そうとしているのではないかと…

 

 

「意味のないことに意味を持たせる」

 

 

これが自ら実感できるようになったとき、人は喜びや嬉しさを感じ、価値をそこに見出すのだと思います。

 

 

恋愛においても同じです。

僕はこの考え方に非常に共感をしました。

http://xn--rck1ae0dua7lwa.com/blog/2016/08/13/couple-meaning/

 

 

意味なんてない!

初めは全てがそうです。

 

 

元から意味があるものではなく、自分たちの手で意味のあるものにしていきましょう。

 

僕がこのブログを書く意味は、自分の思考と言葉を磨くためです。

 

きっとブログを始める前と変わっているはずです。

 

10/15 記

 

 

 

 

Happy Birthday!!

こんにちは!

 

なおとです。

 

実は本日10/12は、僕の21歳の誕生日です。

 

現在滞在しているアメリカでもお酒が飲めるようになりました。

一度くらいはアメリカンなバーに行こうかなと思っています。

 

そんなことはさておき、少しおやっと思ったことがあります。

 

海外で誕生日を迎えて思ったことは、誕生日って厳格なようで緩いなと思いました。

 

例えば、10/11に僕がスーパーでお酒を買おうとしても買うことができません。

たった一日だったらいいじゃないの!と思いますが、そういうわけにはいきません。

 

一方で時差というものがあります。

僕は日本で生まれたので日本時間で誕生日を迎えるべきなんじゃないかという思いが頭をよぎりました。

 

日本とサンフランシスコの時差は16時間です。

 

場所が変わるだけで、誕生日を迎える瞬間が変わってしまうということが時差があるので当たり前のことなのですが、何か違和感もあります。

 

誕生日を迎えるにあたって時差に興味を持ちました。

 

同じ瞬間を過ごしているのにも関わらず、時間が違うのです。

 

時差は、時間は、人間が作ったものに過ぎません。

 

ということは、誕生日だって人間が作り出したものでしかありません。

 

時間という概念などなければ、誕生日に喜ぶことも悲しむこともありません。

 

とは言いつつも、僕たちは時間に従って生きているので、誕生日を迎えたことを単に終わらせるのではなく、過去と未来に繋がる地点だと捉えてみようと思います。

 

また自分が今21歳だと分かることも幸せだなと思います。

 

一つは、人生の平均寿命を考えたときにあとどのくらい生きるのか想像することができるからです。

 

もう一つは、これまでに訪れた国では自分の歳が分からない子供たちにたくさん会ったからです。

自分の年齢が分かるという当たり前に感謝したいです。

 

去年、20歳になったときに掲げた目標“幸せになる勇気を持つ”は達成できたのでしょうか?

 

答えは自分でも分かりませんが、幸せな一年を過ごせたかなと思っています。

 

21歳の目標は『失敗をする』にします。

ただし、死ぬこと、人を殺めるという失敗は除きます。

 

最後に、メッセージをくれた方々ありがとうございます。

 

10/12 記

なおと世界見聞録(ケニア編)

こんにちは!


なおとです。


ケニアへもルワンダ同様、4日間だけの滞在でした。


凶悪都市ナイロビに行くということ、お腹の調子が良くなかったことから初めてゲストハウスではなくホテルを予約しました。


シングルルームの素晴らしさとお湯が出ることに感動しました。


ケニアの最大の目的はタンザニアのサファリで見ることができなかったライオンを見ることです。


高いお金を払ってサファリに再挑戦したのですが、ライオンを見るためだけといっても過言ではないです。


結論からいうと、ライオンを見ることができました。


欲を言うともう少し近くで長い時間見られれば良かったなと思っています。


サファリに行った日以外は、ナイロビには特に観光する場所もないのでダラダラと過ごしていました。

 


ただ奇跡が二度起きました。


ぼらいやーの同期がたまたま同じ時期にナイロビにいたのです。


本当に偶然時期が被り、1日だけ会おうかという話になり、半日遊ぶことになりました。


といってもお昼ご飯を食べて、カフェでゆっくりした後、公園でボートに乗り、キャッチボールをして、晩飯を食べたというだけのわざわざケニア出する必要あるかと突っ込まれるような過ごし方でした。


実際、観光目的で行く国はやることがなくて時間を持て余すことが多いです。

 


もう一つの奇跡というのが翌日でした。


それではまた年末に会おうねと言ってお別れをした翌日、ゾウの孤児院に行くとまたもや再会したのです。


さすがにこの広い世界の中、同じ時期に、同じ都市、そして同じ時間帯に同じ観光スポットにいるという奇跡に驚きました。


ここまで自分のことばかり書いて、見聞録になっていませんね。

 

すいません。

 


しかし、正直に言うとたった4日間をビビりながら過ごしたのであまりケニアのことが分かりません。


その中でも感じたことを少し書ければいいなと思います。


まず、ナイロビという大都市に驚きました。


ナイロビのシンボルになるようなタワーがあったり、時計台があったりしました。


東京とまではいきませんが、さすがアフリカ最大の都市だなと思いました。


交通渋滞もすごくて解決手段を早く打たないと大変なことになるなと感じました。


ナイロビ市内を歩いていて思ったことはアジアの発展途上国に似ているということです。


横断歩道なんてものは機能していないし、強引さがないと歩けないですし、いろんな人からサファリやタクシーの勧誘の声かけがあります。


予想していたとおりという印象でした。

 


僕にとって新たな発見だったのは、高級住宅街とスラム街です。


少し市内から離れたところに高級住宅街がありました。


見た目は日本の一軒家と似ていて綺麗な外観でした。


さらにその規模は日本の平均的な一軒家の3倍はあるのではないかと思う規模でした。


一方でスラム街も市内から少し離れたところにありました。


中まで行けていないので詳しいことは分かりませんが、おそらくアジア諸国にも見られるような典型的なスラム街のようでした。


この2つを見て思ったのが、先進国に比べて地域コミュニティが強い意味を持つケニアのような国でも貧富の差によって住む場所がはっきりと分かれているということです。


お金持ちはお金持ちのみのコミュニティだけで生きていこうとするのが今の世界のスタンダードなのでしょうか。


個人的には腑に落ちない思いです。


9/25 記