キガリ虐殺記念館へ行ってきた
こんにちは!
なおとです。
今日はキガリにある虐殺記念館へ行ってきました。
大雨の中、モト(バイクタクシー)に乗りずぶ濡れで到着しました。
その影響かそれとも虐殺記念館に展示品のむごさか、ゲストハウスへ帰りは体調が少し悪くなりました。
今は全く問題ありませんが…
これまで僕は広島や長崎の原爆資料館、沖縄のひめゆりの塔、靖国神社の遊就館、カンボジアのキリングフィールドなど戦争や虐殺の悲惨さを残す場所へ訪れました。
そのどれもが衝撃的で言葉を失いました。
今回のルワンダはキガリにある虐殺記念館も強い衝撃を受け、写真を撮ったり、あるところに近寄ることを体が拒否しました。
ルワンダの大虐殺はたった23年前のことです。
総人口の10~20%の方が亡くなりました。
詳しいことについてはここでは書きませんが、虐殺するか、されるかという二つの選択しかなかったと言います。
つまり、政府や過激派による虐殺だけではなく、住民間でも殺し合いがありました。
友達や知り合いを殺さなければ、自分が殺される、そんな状況を想像できますか?
最新の兵器によってではなく、自分の身の周りにあるもので人を殺すということが僕にはリアルに感じられて辛かったです。
負の遺産というべきかどうか分かりませんが、このような場所を訪れたとき、僕たちはこの事実を忘れてはいけない、風化させてはいけないと話します。
ただ人は平和な毎日を送る上で必ずこの気持ちは薄れていきます。
だから僕はそこからもう一歩踏み込んだ具体的な行動が必要なのではないかと思います。
例えば、平和教育や経済不況を防ぐための政策、民族対立の根本的な解決などなど簡単ではないですが、現実的な行動が重要だと思います。
悲惨な歴史を繰り返さないために僕たちができることはまだまだあるはずです。
9/19 記
なおと世界見聞録(タンザニア編)
こんにちは!
なおとです。
後で書こうと思っているとだんだん面倒くさくなってしまいますね。
さて、今回はアフリカのタンザニアについて僕の感じたことを書いていこうと思います。
タンザニアには2週間滞在していたのですが、何度子どもたちに手を振って挨拶をしたか分かりません。
ただ道を歩いているだけで子どもたちが話しかけてきます。
人見知りなど一切することなく、笑顔で手を振りながら話しかけてきます。
初めはチヤホヤされ嬉しかった僕ですが、日本とは違いそもそもの子どもの数が多いこと、異常にしつこいことの2つで正直だるいなと思ってしまうこともありました。
目が輝いていてかわいいとはいつも思うのですが、やはり終始付きまとわれると疲れてしまいます。
タンザニア最大の印象がこれです。
子どもたちの数と元気が桁違いでした。
続いて、サファリについて書いていきます。
首都ダルエスサラームから車で約6.7時間のところにあるミクミ国立公園へと行ってきました。
一泊二日で260ドルでした。
一日目はサファリだけではなく、マサイ族の村を訪れたり、満天の星空の元キャンプをしました。
ちなみにここで見た星空は人生でもっとも綺麗な夜空でした。
二日目の午前がいよいよサファリ散策でした。
僕たちの車には日本人が6人。
もう何を気にせず、スピーカーでノリのいい曲をかけて歌って騒ぎながらサファリを廻りました。
大自然の中、軽快な音楽とともに野生の動物たちを探す数時間が僕にとっては本当に素晴らしい時間でした。
サファリではエジプトの砂漠と同様、自分は人が作った遺跡より自然の壮大さを目の当たりにしたときに感動するのだと気付きました。
そしてこの時代、世界の絶景と言われるものはスマホ一つで見ることができます。
それも最高の状況のときに一眼レフを使い加工までした写真です。
これまで実際に見てがっかりしたことは何度もあります。
しかし、砂漠とサファリだけは一枚の写真に収まりきらない雄大な光景が広がっていました。
心を揺さぶられる自然の大きさに魅力されました。
最後に、ご飯や人について少し述べていきます。
ご飯はホームステイ先(タンザニアではおそらく裕福な家庭)で毎回ご馳走になっていたのですが、米がほぼ毎日出てきました。
そして必ずワンプレートです。
一つのお皿に米とおかずをよそって食べます。
見た目は正直微妙なのですが、味は想像以上に美味しく、食に関しては全く問題がありませんでした。
フルーツも豊富に採れるみたいで、ほぼ毎食出ましたが、季節の関係で僕があまり好きではないスイカが多かったです。
12月頃(夏)に行くとマンゴーやパインアップルが食べられるらしいです。
人の印象は男性はかわいい一方で、女性は怖かったです。
男性は何が起こっても“no problem”精神で常に笑顔を絶やさない人が多かったように思います。
女性は怒っていなくても、怒っているように見えることが多く、僕は結構ビビってました。
総じて大らかな人が多く、自分の意志はしっかり持つがヨーロッパの人ほどそれを押し通そうとする強引さはないように思いました。
アフリカ最高峰の山『キリマンジャロ』、
アフリカのハワイ『ザンジバル』、
アフリカ最大級のサファリ『セレンゲティ国立公園』
には今回行くことができなかったのでまたリベンジしたいと思います。
タンザニアは僕の好きな国の一つになりました。
9/24 記
ワークキャンプ(タンザニア編)
こんにちは!
なおとです。
中耳炎のため8月に参加するはずであったタンザニアのワークキャンプに参加できず、再チャレンジとして9月3日から二週間タンザニアでワークキャンプに参加しました。
結論から言うと、あっという間に二週間が終わり、本当に参加して良かったなと思います。
メンバーは現地のタンザニア人のリーダーとフランス人1人、そして日本人が6人という国際色が弱めのワークキャンプでした。
主なワークキャンプ内容としては、毎日午前中に幼稚園へ行って先生のサポートをしました。
僕はもう一人の日本人とともに2.3歳の子どもたちのクラスで先生のサポートをしましたが、これが結構辛かったです。
大きく2つに分けて書いていこうと思います。
まず一つ目は、異国の地で現地の言葉も分からない中で、さらに2.3歳の子どもたちに対して僕にできることが見つけられませんでした。
英語は普段から少しずつ教わり、数字の勉強もしている。
そしてこれまでにも日本人のボランティアがたくさん来ているという状況の中で、僕だからできることは見つけられず、先生のサポートをしているだけになってしまいました。
日本では2.3歳を預かる保育園や幼稚園の先生は何を考え、子どもたちにはどういう思いを持って接しているのか気になりました。
そして、話ができる年代になるまでの子どもたちへの教育の難しさを痛感しました。
二つ目は、体罰についてです。
僕が訪れた幼稚園では一日に何度か先生が木の枝で子どもたちを叩いている場面を見かけました。
木の枝が子どもの身体に当たりパシンッという音や、その後聞こえてくる子どもたちの泣き声を聞くと胸が締め付けられました。
確かに子どもたちが言うことを聞かない、悪いことをするときに叩かれるのですが、日本では見られない光景なので少ししんどかったです。
しかし、その先生が教室からいなくなると教室内の秩序が乱れたり、叩かれることによって子どもたちに良い変化があることもありました。
体罰(限度がある)が絶対悪だとは思わない自分も確かにいました。
日本人メンバー内でも日本の現状と照らし合わせて何が良くて悪いかと話し合いました。
人それぞれの価値観で大きく意見が分かれるところだなと感じています。
他にも、
米のとぎ汁に砂糖をいれたような飲み物を飲んだり、
2.3歳ながら英語を話し始めてる子が大勢いたり、
何十回教えても“2”が書けない子がいたり、
寝るときはなぜかうつ伏せと決まっていたり
と少し面白い経験をすることができました。
日本人が多く、日本語ばかりを話してしまいフランス人と揉めてしまうこともありました。
それでも夜にカルチャーナイトといってお互いの文化を紹介する日などがあり、クイズやダンス、歌などで盛り上がりました。
ちなみに“PPAP”がバカみたいにウケました。
キャンプリーダーはとても優しく、責任感が強く、おもしろくて本当に恵まれました。
僕たちが喧嘩したときは仲裁に入ってくれたり、あらゆる場面で盛り上げてくれました。
日本のことも好きだと言ってくれ、僕たちが教えた日本語や文化をすぐに覚えてたくさん使って楽しませてくれました。
もう一度キャンプリーダーに会いたいと強く思います。
二週間のワークキャンプですが、とても濃くて書ききれないほどたくさんのことがありました。
最後に、僕たちを暖かく迎えてくれたホームファミリーなどの現地の人たち、僕たちを安全に楽しませてくれたキャンプリーダー、そしてワークキャンプメンバーに感謝したいです。
ありがとうございました。
9/16 記
僕たちは常に歴史から学ぶ
こんにちは!
なおとです。
いきなりですが、僕は歴史が好きです。
その理由は2つあります。
一つ目は単純にストーリーとして面白いからです。
ドラマや映画を見て面白いと感じるようなことが現実に起きたことなんだと思うとワクワクします。
二つ目は歴史が自分の意志決定に大きく影響するからです。
歴史というと大きいことを考えてしまいますが、自分のこれまでの過去も歴史の一部です。
つまり、自分の成功や失敗も歴史となりそれが今の自分の意志決定と密接に関わっています。
そしてこの二つ目の理由が僕たちが歴史を学ぶ理由だと思います。
先日北朝鮮が日本上空を越えて太平洋にミサイルを打ちました。
日本や米国はさらなる経済制裁として石油の禁輸を安保理理事会に要求しました。
感情論だけでこのことについて考えると、経済制裁はさらに強めるべきだ思ってしまいます。
しかし、日本が太平洋戦争に突入した歴史を考えてみると、アメリカを始めとする国々に石油を禁輸されたことが引き金となり、真珠湾攻撃が行われました。
そのときの日本と今の北朝鮮が全く同じだとは思いませんが、経済制裁、特に石油禁輸については日本の歴史をもう一度検証する必要があるのではないかと思います。
そしてもう一つ。
北朝鮮は確かに歴史から学んでいます。
リビアのカダフィーやイラクのビンラディンがあのような結果になった理由は核を保有していなかったからです。
その歴史を勉強したからこそ、今の北朝鮮に対してどの国も手出しすることができないのです。
緊迫しているとき、自分の立場が危うくなったとき、興奮しているときなどなど感情的になることはよくあります。
そのときこそ冷静に歴史から学べることは多いのではないでしょうか?
身近なことを話しますと…
今日、僕は自らの歴史から学ばずにその場の空気で小学生の前でPPAPを披露したら思いっきりスベりました。
歴史はただのストーリーではなく、未来の成功への道しるべです。
9/18 記
僕は日本代表になった
こんにちは!
なおとです。
僕は日本代表です。
僕だけでなく、すべての日本人が海外に行くと日本代表です。
というのも、これまでたくさんの外国人に出会ってきましたが、中には僕が初めて会う日本人だという人もいました。
その人にとっては僕のふるまいや行動、考え方が日本人のふるまいになり、行動になり、考え方になってしまいます。
好印象を持ってくれれば良いのですが、悪い印象を与えてしまうことも往々にしてあると思います。
実際、世界一周を始めて僕の中でドイツ人の印象はあまり良いものではありませんでした。
これまでに出会ったドイツ人が自己中心的で、自己主張が強く、空気が読めないタイプが多かったからです。
しかし、今回新たに出会ったドイツ人の印象は全く異なっていました。
他人に気配りができて、優しく、おしとやかな印象を持ちました。
日頃から僕の拙い英語を頑張って解釈してくれたり、様々なことに気を使ってくれます。
そのドイツ人が開催してくれたカルチャーナイトでは、ドイツの美味しい料理を用意してくれ、ダンスや歌も教えてくれ、ものすごく盛り上がりました。
もし今回このドイツ人に出会っていなければドイツに対して、悪いイメージを持ち続けていたかもしれません。
このことから二つことを今後気をつけなければならないと思いました。
一つ目は改めて自分は日本人を代表しているということを自覚するということです。
無理に気を使う必要はないですが、自分の言動が日本人の信頼や印象を落とす可能性があるということは忘れないようにしたいです。
二つ目はその国の何人かだけを見てその国の印象を決めつけないということです。
例えば、一口に日本人といっても大阪のおばちゃんに出会うのか、沖縄の青年に出会うのか、東京のベンチャー企業の社長に出会うのとでは全く性質が異なっています。
僕が実際に出会った人たちの言動は確かに事実ではありますが、それが全てを決定付ける真実ではありません。
たった数人と、たった数時間だけ共に過ごしたことはあくまで僕が限られた範囲の中で見た、聞いたものに過ぎないということを肝に銘じてこれからもたくさんの外国人と出会っていきたいです。
9/14 記
NOが言えなかった日本人
こんにちは!
なおとです。
日本人ってよくNOが言えないと言われていますよね。
僕は比較的言える人だと思っているのですが、今日はNOが言えないことがありました。
昼ご飯を食べ終えて、ホームステイ先の庭で休んでいると、ホストマザーがご機嫌に僕ともう一人の日本人の名前を呼んできました。
そして、僕たちの目の前にブレスレットを置きました。
そのブレスレットはなんと僕たちの名前入りでした。
僕たちは顔を見合わせてホストマザーからの粋なプレゼントに喜びました。
しかし…
僕たちが興奮して喜んでいると、ホストマザーがそのブレスレットを作ってくれた職人を呼んできました。
そして、ホストマザーは僕たちにこのブレスレットは“7000シリング”だと言いました。
プレゼントだと思っていた僕たちは冗談だと愛想笑いしてたのですが、その後もお金を請求されました。
7000シリング(約350円)ですし、結構綺麗に作られていて、一つ一つ手作りで、実際嬉しかったのでそれ自体に全く不満はないのですが、なにしろ順番が違うだろと思うのです。
僕たちに一言もなく、名前入りのブレスレットを持ってきて買えと言われても…
先に一言、「名前入りのブレスレットが7000シリングで買えるけど作ってもらう?」と伝えてくれれば、お願いしますと答えて気持ち良く買えたのです。
とても複雑な気持ちになりました。
名前入りのブレスレットは嬉しいし、確かに欲しいと思いました。
ただこのNOと言えない状況を作って買わせるのは少しばかり腹が立ちました。
安く良いものが買えたと考えれば、気持ち良くこのことを受け止めれるのですが、どうしても納得できないモヤモヤが残りました。
これはタンザニアでは普通のことなのでしょうか。
ブレスレット自体は気に入ったのでこれからの旅のお供にします。
9/12 記
国際支援のジレンマ
こんにちは!
なおとです。
これまでアジアやアフリカの発展途上国を中心に旅をしてきましたが、僕の中で1つ大きな葛藤があります。
日本は現在、政府やたくさんの企業や人が多くの発展途上国に様々な形で支援をしています。
そのような国で街を歩けば、日本との差は歴然です。
道にたくさんのゴミが捨ててあり、綺麗な建物もなく、道路もガタガタで、交通整理もまともにされていません。
日本との差をあげればキリがありません。
現在、裕福で恵まれた生活をしている日本のような国がそうでない国を支援することは基本的には良いことだと思います。
僕もそう思ってこれまでボランティアをしたり、そういう取り組みをしている企業などを応援したりしました。
しかし、たまにこのような思いがふと頭に浮かんできます。
「もし今発展途上国と呼ばれるような国が全て日本のような国になったら日本はどうなるのだろう?」
日本などの先進国はある意味で発展途上国の支援なしには成立しません。
僕たちが安くものを買ったり、裕福に暮らせているのは発展途上国がある上で成り立っています。
発展途上国が今後さらに成長していき日本と同じような水準の生活ができるようになったとき、日本は、日本人は今のような裕福な生活ができなくなると思います。
国際支援はもしかしたら将来の日本の首を絞めることに繋がるかもしれないと考えてしまいます。
僕たちが今やっていることが自分の子どもや孫にとってマイナスになってしまうかもしれないです。
この考え方は間違っているでしょうか?
日本も発展途上国もお互いに幸せ(裕福)になっていく方法はあるのでしょうか?
9/11 記