僕の居住地は。

こんにちは!


なおとです。


海外に来てもうすぐ1ヶ月が経ち、いろいろ考えさせられることがあります。
そのうちの自分でも予想していなかったことについて書いていきたいと思います。


世界一周をして各国を旅しているといっても、日本でも北海道と東京では全く景色も風土も変わるように、1つの都市しか行かずにその国のことなんて少ししか分かりません。


それでも“この街”について考えることがあります。


空港の関係で、これまでに行った国は全て首都や有名な都市を訪問しています。


同時にワークキャンプのおかげで、首都から遠く離れた村にも来ることができています。


そして僕は日本と比較してみます。


日本は東京を中心に各地方に大きな都市(札幌、仙台、大阪、名古屋、福岡など)があります。
またその都市を中心にたくさんの市や町、村があります。


外国でも日本のそれと同じように地域が構成されていますが、海外の人と会話をしていると、日本ではそれぞれの都市に強い個性があるように思います。


僕はこのことを誇らしく思っています。
しかし、近年東京一極集中化が進み地方の衰退が加速しています。


東京に全てのものが集まる理由は仕事だと僕は思います。
地方に東京と同じ仕事さえあれば、これほどまでに東京に何もかも集まることはありません。

 

それぞれの地方に個性豊かな、魅力のある場所があるにも関わらず、自分の生活や将来のことを考えるとやはり東京にでざるを得ない状況です。

 


僕の理想は「東北であれば仙台を、北陸であれば金沢を、関西であれば大阪を中心にさらに個性豊かな地方が作られていく」ことです。

 


僕は海外に来て、なぜか東京に全てのものが集まる日本が悲しくなりました。


外国人では日本の地方に興味を持っている人が多いですし、僕も会話をしていると自然と地方の自慢話になっていたりします。


この1ヶ月の間に、将来は東京ではなく地方に住みたいなという思いが出てきました。


そのためにはやはり仕事がネックになると思います。
僕は現在、具体的にこれがやりたいという職業はありませんが、イメージ的には東京でこそやりがいがあるような仕事に興味があります。


地方でその夢を叶えながら住むには自分で稼ぐ方法を見つけないといけないなという気持ちになります。


「地方に住みながらもしっかり自分の力で稼ぐこと」と「東京の一極化が止まり地方が盛り上がること」は僕の夢でもあります。


現実的にもしもこれが可能であるならばそれはインターネットの力しかないと僕は思っています。

 


みなさんの考えを教えていただけると嬉しいです。


6/14 記

 

その経験に価値はあるか

こんにちは!


なおとです。


いきなりですが、みなさんは自分の経験を抽象化していますか?


もう少し簡単に言うと、「自分が体験したことや学んだことを言葉にして表現していますか?」


この経験を抽象化することの難しさや大切さを大学生になってから教わりました。


自分のした経験を人に伝えることができて初めて世間という枠組みの中で役に立ちます。


自分の経験が全て世間の役に立つ必要はないのではという考えもありますが、僕の基本的な考え方は自分の経験は世間の役に立つべきものだと思っています。 


そんな考えに基づいて今回のブログを書いていきます。

 


僕は昨年の11月頃からほぼ毎日日記を書いています。
ブログも最近始めました。
その他にも日々の経験や学び、自分が感じたことを文字に起こすことがよくあります。


そんな日々の中で常々思うことがあります。


「自分の経験したことを言語化すると全然頭の中で想像していたものと違うし、これじゃあ自分の伝えたいことが全く伝えられていない。」


文章を書くたびに感じます。
話すことが好きな僕は書くこともそれほど苦ではありません。


しかし、しんどいなと思うことや煩わしいなと感じることはよくあります。


文章を書くためには、その瞬間だけではなく、生活していく上で常に経験を言語化することを厭わずにやらなければなりません。


今何をして、何を感じて、どうしてそう思ったのかなど頭の中で整理し続けなければなりません。


何を考えず、夜になったからさぁ日記を書こうではただの一日の出来事を記したイベント日記に過ぎません。


僕はそんな日記を書いているつもりはなく(結果的にそうなってしまっている日もある)、今日あったことに対して自分の考えや想いを書く日記を作っています。


自分の考えや想いは言語化されて初めて意味を持ちます。
自分の頭の中では分かっているけれど表現できないというのは、本当は分かっていません。


言語があるから思考することができます。
つまり、言語化できないというのとは思考が不十分だということです。


僕が日記に自分の考えや想いを書いているのは自分の思考を深めるためのトレーニングです。
言語化することによって、自分が本当にどのくらい考えられているのか確かめることができます。


ブログでは、自分だけではなく他社に発信することによって新たな視点を与えてもらえるかもしれないと思って始めました。


日記やブログを振り返ってみると、本当に難しいなと思うことが多いです。


僕のゼミの先生から以下の言葉を教えていただきました。


「経験に対して言語は常に過剰であり、常に不足している。」 


ここに経験を言語化することの難しさがあると思います。


それと同時に言語の面白さも感じます。


ある2人が全く同じ経験をしても、それを表現すれば全然異なるものが得られるかもしれません。
それはその経験に対しての思考が異なるからです。


前述したように言語があってこそ思考ができるので、言語の使い方によって経験の抽象化のされ方が違うのです。


本当に言語は奥深いなと思います。

 


少し話を変えます。


世の中には言語化することによって、その経験が浅いものになってしまうこともあると思います。
時には言語化せずに単に感じることが尊いこともあると思います。


この“言語化せずに感じる”を必要とするときは家族や恋人、友達などの親しい間柄に発生する気遣いや思いやりといった愛があるときだと思います。


そこには言葉では表しきれない、目では見えない、耳では聞こえない大切なものがあります。


ただ僕の基本的な考え方は経験は抽象化され、世間に役に立ってこそ意味があると思っているので、常に言語化することを厭わずにやっていくつもりです。


その中で本当に大切なものに出会ったときに言葉ではないところで信じ合うことができればいいなと思います。


最後に…

最近書くことが増えた僕の書くことに関する感想です。

 

書くことで考えは深まっていく。
言語化をすることを辞めれば、思考も止まる。

 

6/11 記

 

なおと世界見聞録(マレーシア編)

こんにちは!


なおとです。


三泊三日(そのうち一泊は空港泊)のマレーシアの旅行も終わり、現在次の国スリランカに着きました。


マレーシアの首都、クアラルンプールに3日間滞在していたのですが、本当に住みやすい都市だなと思いました。


一言で表すと、ほぼ日本です。


日系企業はたくさんあり、これまでの国では見かけなかった無印良品ダイソーなどなど見つけました。
そして大きなショッピングモールが至る所にあります。
道路は綺麗に整備されていて電車やバスなどの空通網も整っています。
よくアジアの国で見かけるゴミがそこらじゅうに捨ててあるということもありませんでした。


これまで訪れた国で最も日本に近かったです。


ヤンゴンから飛行機に乗ってクアラルンプール空港に着いたのですが、そのときの僕の格好がとても浮いていました。


ビーチサンダル、タイパンツ、パジャマみたいなTシャツ、片手に麦わら帽子。


東京でそんな人を見かけないようにクアラルンプールにもそんな人はいませんでした。
少し恥ずかしくなり、ゲストハウスからどこかに出かけるときは、日本から持ってきた長ズボンとスニーカーを履いて観光してました。


日本の都市と比べてどこが違うかと聞かれても答えに困るほど、クアラルンプールは発展していました。


違いとしてぱっと思いつくのはイスラム教徒が多く、身体を布で覆っている女性が多かったことくらいです。 


そんなクアラルンプール、最大の魅力的は物価です。


ご飯を食べるにしても、200ー300円あればお腹いっぱい食べれます。
電車の初乗り料金も約30円です。
1時間バスに乗っても80円ほどです。


日常生活をしていくだけなら日本と同じような生活ができて出費は1/2~1/3に抑えられそうです。


もし今海外移住するならと聞かれれば、迷わずマレーシアと答えます。


そんなマレーシアのもう1つの武器はなんと言ってもクアラルンプール国際空港です。


アジアを空路で旅すれば気づくと思いますが、アジアでのハブ空港としての役割が強く、どこの都市にいくにしてもまずはクアラルンプール国際空港へ乗り継ぎをします。
僕もスリランカの後、次の国に行くためにまたクアラルンプール国際空港に戻ります。


マレーシアは東南アジアの中でも、シンガポールに次いで頭一つ抜け出した、そんな雰囲気のある国でした。


先進国の仲間入りをする日も近いかもしれません。

 

6/8 記

子どもたちを見て思ったこと

こんにちは!


なおとです。


ミャンマーワークキャンプではたくさんの子どもたちと関わる機会がありました。


この村での子供の割合が多いということ、言葉が話せなくても仲良くなれてしまうことの2つがあり、僕個人としても子どもたちと触れあう時間は楽しかったです。


子どもたちといると言語を覚えやすいというのは本当だなとも思いました。


大人とは違い、子どもたちは僕に根気強く(悪くいえば、しつこく)ミャンマーの言語を教えてくれました。


一度に複数人から話しかけられることもしばしば…
プライベートな時間がなくて子どもたちのしつこさに、何度かキレそうになりながらも多くの時間をともに共有して楽しみました。


そんな子どもたちを見て思ったことがありました。


思った以上に元気な子が多く、肌も手も歯も綺麗だったということです。
井戸水しかなく、24時間周りに虫が飛んでいて、みんな裸足で森や沼へと入っていくような環境で過ごしているとは思えませんでした。


僕は終始、お腹が痛くなったり、どこかが腫れたり、体に菌が入らないかなと心配していました。
子どもたちは生まれたときからこの生活をしているので、もちろんそんなことは考えません。


僕はこう考えました。


日本ではあれがダメ、これがダメと言われすぎて、子どもたちの成長を妨げているかもしれない。


僕がこのワークキャンプ中最も楽しかったことは、フットボールです。


このフットボールの何がおもしろかったかというと、コートのコンディションです。
スコールが止んだ直後にフットボールをやり始めたので、コートは完全な湖状態です。
もともとそのコートも畑なので、一面ガタガタしたぬかるみです。
もちろん、そんな状態でまともにフットボールができるはずなどなく、走れば転倒、ボールを蹴れば転倒、歩いているだけでも転倒するときがありました。
泥水が服にかかるだけでなく、容赦なく、口や目にも入ってきます。
僕としてはこのクレイジーさが楽しくて、無駄にスライディングをしまくっていました。
幼少期、水溜まりで遊んだ頃の思い出が蘇ってきて本当に楽しかったです。


今の日本ではどうでしょうか?


特に東京などの都市部で、子どもたちが水溜まりで遊んでいる姿を見れるでしょうか?
たいていの場合、親や先生に止めるように止められています。


汚いとか、周りの目とか諸々の理由でやめさせざるを得ないのです。
子どもの好奇心を潰してしまう可能性もあります。


他にも、
賞味期限の切れたものは食べさせない。
綺麗な場所にしか行かない。
頭のトレーニングも兼ねたような遊びばかりをさせる。
服を汚くして帰ってきたときに叱る。
下品なテレビを見せない。
教育上良くないと思った情報を与えない。


などなど子どものためを思った親の行動がありますが、時には成長を妨げることにもなると思います。


日本では考えられないような劣悪な環境で育っても、僕より肌も手も歯も綺麗な子どもはたくさんいます。


下品なものや社会の負の部分を見せなくても、いつか子どもはそれを知ります。
結果的に体が弱くなったり、アレルギーを持ったり、潔癖症になったり、自分とは違う変わった人を受け入れられなくなったりするのではないかなと思いました。


言葉としては悪いですが、基本的な考え方として、『子どもは飯を食べて寝てくそさえしてれば、勝手に大きくなって立派になる』と思います。


子どもの成長についても考えさせられる村での生活でした。

 

6/7 記

 

ハプニング2

こんにちは!


なおとです。


マレーシア最終日、飛行機の時間は午後九時出発なので、朝からクアラルンプール郊外のモスクを観光しようと思っていました。


ブルーモスク、正式名称はスルタン・サラディン・アブドゥル・アジズ・シャー・モスクに行こうと前日から計画していました。


電車やバスを乗り継いで行く方が安いので、前日に下準備をして午前9時頃の出発を考えていました。


しかし、まさかの寝坊。
起きたときに時計を見るとまさかの11時過ぎ。
行くのを辞めようかなとも思いましたが、12時にチェックアウトした後、特にやることもなかったので、急いでブルーモスクに行くことにしました。


電車は簡単に乗り継いで、バス停のある駅に到着しました。
ここでまた新たな事件発生。
バス運賃が3リンギットなのですが、手持ち金は5リンギット以上のお札しかなく、運転手にはお釣りが出せないから崩してこいと言われました。
始発のバスだったので、待っててくれるのかと思って、崩しにいくとそのバスはその直後に出発しました。
30分に1本しかないので、それからまた30分待つことになってしまいました。


この時点で、寝坊と運賃のせいで既に三時間半ほど予定より遅くなっています。


バスは予定通り1時間弱でブルーモスク周辺のバス停に到着しました。
しかし、ブルーモスクまでの道に少し迷ってしまい、遠回りしてしまいました。
ブルーモスクを目の前に「よし、30分程度見て帰るぞ!」と思っていたそのときです。


横にあった建物から一人の男性が登場。
ブルーモスクに行く前にこっちに寄れとのこと。
時間がないというとすぐ終わるからと言われ、半ば強引に連れて行かれました。
そこで何をしたかというと、イスラム教の説明をしてくれました。
勧誘というわけではなく、単なる説明だったので時間があれば是非聞いてみたかったのですが、時間のない、そして英語が理解できない僕にとっては少し辛かったです。
結局一時間ほどイスラム教のことを教えてもらったり、聖書みたいなものをもらいました。


本来ならばこの時点でバスになるべき時間です。
しかし、ここまで来てブルーモスクの中に入らないのは悔しかったので、少しだけ見て帰ろうとしました。


そして靴を脱いでモスクに入ろうとした瞬間、まさかの日本語を話せる無料ガイドと日本から来ていた日本人観光客に遭遇。
ガイドが30分で終わると言ったのですが、僕にそんな時間はありません。
15分ならということで、モスクを案内してもらいました。 


本当に必須の部分だけを見て、足早にモスクを後にしてバス停へ向かいました。
バス停でバスを待っている間、ここで待ってていのか分からない、飛行機に間に合わなかったらどうしようという焦りに駆られすごく不安でした。


10分程度でバスは来て乗ることができました。
しかし、夕方の帰宅ラッシュということもあり交通渋滞がひどく予定より30分ほど到着が遅れてしまいました。


それから大急ぎで電車に乗り換え、ゲストハウスに荷物を取りに帰らなければなりません。


その後バッグを持って電車に乗ろうするも、満員電車のため乗れず3本も見送る羽目になりました。
時間にして45分のロスです。


詰めればもう少し乗れるはずなのに、既に電車に乗ってる乗客もこれから乗る乗客も乗る気がないとまで思えるマイペースです。
いよいよ本気で焦ってきました。
4本目では、現地の人たちに嫌な顔をされながらも思いっきり押し込んで電車に乗り込みました。


バスに乗り換えて空港に行く予定だったのですが、それでは絶対に間に合わないので、5倍くらい高いエクスプレス電車に乗ることにしました。


空港に着いたのはチェックイン受付終了時間7分前、チェックインカウンターに着いたのはチェックイン受付終了時間3分前でした。


本当に危機一髪でした。


飛行機に乗れたから笑い話ですが、間に合っていなければ前回のハプニングに匹敵する絶望感だったかもしれません。


やはりギリギリはよくないですね。
いつも全てのことがギリギリになってしまうこの性格を治さないといけないなと思うのですが、なかなか治らないです。
空港で暇つぶすくらいがちょうどいいんだと思います。


これからはもうこのようなことがないようにしたいと強く強く思っています。


猛省します。

 

6/7 記

 

なおと世界見聞録(ミャンマー編)

こんにちは!


なおとです。


中国の空港でチェックインできず、チェンマイを経由して1日遅れで入ったミャンマーもいよいよ旅立つ時が来ました。


ミャンマーのイメージを簡単に表すと、東南アジアの中でも比較的発展が遅く、外国文化があまり浸透していないといったところでした。


しかしその中でも日本との関わりを意識する場面が多くありました。


その象徴は自動車です。


ミャンマーを走っている自動車の多くは『ホンダ、マツダ、日産、トヨタ、三菱』など日本企業の自動車です。


さらに驚きはバスです。


僕が見た70%近くのバスは日本の中古車でした。
日本で使わなくなったバスを政府が集めてミャンマーへ送っているそうです。
そのまま利用しているので、「○○県
教育委員会」や「○○幼稚園」、「株式会社○○」といったようなものもたくさんありました。


中古車なので内装・外装ともに汚い、エアコンが効かない、明らかにおかしい音がする、シートベルトがないなど日本では考えられないようなバスばかりでした。


それでも、そのバスに乗ると注意書がすべて日本語で書かれているのを見るとなんとなくホッとした気分になりました。


それと同時に、そのようなバスを見る度に、「自分がずっと着ていたけれど、汚れや破れたなどの理由で捨てようとした服をたまたま新しい服を買えない人がいたからあげた。」といった気持ちになりました。


情けとは、優しさとは、同情とは何なのでしょうか?


自分が使わなくなったものを必要としている人がいるなら、あげればいいと思う人もいると思います。
でも、そこに経済的な理由や立場に差があるときは僕は複雑な気持ちになります。

 


外国の文化が浸透していないなと感じた場面もいくつかありました。


一つ目は服装です。


ロンジーと呼ばれるミャンマーの伝統衣装を纏っている人が男女関係なく都市にも多くいました。
見た目はとても大きいバスタオルを腰に巻いてるといった感じです。
綺麗なショッピングモールでデートしている若者がロンジーを纏っている姿も見ました。


二つ目は化粧です。


化粧という表現が正しいのか分かりませんが、ミャンマーでは木を削ってそれを水と混ぜたものをローションとして使っています。
それをシャワー後に塗るのですが、顔にはそれを多めに使い乾いたときに模様になるように塗ります。
ミャンマーでは、ほっぺに木目色をした模様がある人を度々見ることができます。


三つ目は高い建物、外国風の建物が少ないということです。


僕は首都のヤンゴンにも数日間いたのですが、マンションやタワーのようなものはほとんど見ていません。
外国風の建物も少なく、観光地は仏教系の建物か遺跡、もしくは自然系のものでした。
ただマンションや高層ホテルの建設予定地などはいくつか見かけたので、これからどんどん街の様子が変わっていくんだろうなと思います。


このように海外文化の影響を大きく受けず、ミャンマーの伝統が色濃く残る背景には、民主化されてまだ数年しか経っていないことがあげられると思います。


これまで閉鎖的だったことが東南アジアのその他諸国に比べて海外の影響を受けてないことに繋がっているのだなと感じました。


東南アジアの中でも、少し他国とは違った雰囲気を味わえるミャンマーを一度訪れてみればいかがでしょうか?

 

6/4 記

 

ワークキャンプ(ミャンマー編)

こんにちは!


なおとです。


ミャンマーへは二週間ほど滞在していたのですが、そのうち10日程度は首都ヤンゴンから車で4時間ほど離れた小さな村でボランティアをしていました。


英語が通じる人はおらず、キャンプリーダーの通訳か雰囲気でしか会話ができない10日間でした。


ここから村のことについて少し書いていこうと思います。


まずは“住”です。


村の真ん中には、Monastery(修道院)があります。
そこには大仏のようなものがあり、そしてお坊さんが住んでいます。
他にも数人の子供たちが過ごしていました。
村の人たちが何かあると集まる場所になっているみたいでした。
僕がその村に着いてすぐに案内されたのもこのMonasteryでした。
さらに僕の寝床もこのMonasteryです。
個人的にはこれが一番辛かったです。


暑いのにも関わらず風通しが悪く、寝るときも汗が止まりませんでした。
コンクリートの上に藁を一枚引いて寝るというスタイルだったので、なかなか疲れも取れませんでした。
そして何より、ゴキブリなのか、アリなのかよく分からない虫たちが僕の体をよじ登ってきます。
寝るのがとても億劫な日々でした。


村の住民は高床式の家に住んでいる人が多く、壁は木や藁ということがほとんどでした。
床も所々穴が空いていて、よくその穴に唾を吐いていました。
高床式だと、やはり虫の数は相当減り過ごしやすかったです。
一日だけ村の住宅で寝させてもらったのですが、とても快適でした。

 


続いては“水”です。


水道は通っていなくて、基本は井戸水です。
シャワーや洗濯、洗顔、歯磨きも井戸水を使いました。


シャワーや洗濯はまだしも、歯磨きかど自分の口入れる水が濁っていて鉄のにおいがするのはやはり抵抗がありました。
かといって、しないわけにはいかないので渋々使っていました。


食事の飲み水として、その濁った水が出てきたときはさすがに飲めませんでした。
住民達はその水を普通に飲んでいますが、僕はずっと買ってもらったペットボトルの水を飲んでいました。

 


次は“食”です。


ミャンマーのローカルフードを毎日食べれたことは良かったです。
そして意外に美味しかったです。


おかずがそれぞれのお皿に分けられているのを好きなように取って、自分の皿に盛りつけられているご飯と混ぜて食べます。
おかずの種類としては、鶏肉や豚肉、ドライフィッシュ、ローカルな野菜、卵、スープなどが基本でした。


村の人たちはスプーンなどを使うことなく、右手だけで食べていました。
僕が食べるときは毎回、スプーンとフォークを用意してくれました。
都市部だと、スプーンとフォークを使うのが普通みたいです。


あとはマンゴーがほぼ毎食デザートとして出てきました。
買っているというよりはその辺の木から採れるマンゴーです。
日本では高くて普段あまり食べませんが、僕一人で10日間に20個近く食べたと思います。
とても甘くて、僕は宮崎マンゴーを食べたことないのですが、おそらくそれに匹敵するのではと勝手に思っています。

 


最後は“人”です。


おもてなしを本当にたくさん受けました。


例えば…
ご飯の間ずっとうちわで僕を仰いでくれる。
洗濯物を洗うのを手伝ってくれる。
たくさんの家庭に招かれご飯をご馳走になる。
アメや果物など一人食べる量じゃないくらい渡してくれる。
少し離れたところに行くときは大抵、バイクの後ろに乗せてくれる。
地面が滑って危ないときは必ず誰かが僕のそばで僕を支えながら一緒に歩いてくれる。


こういったことがたくさんあり、たまに罪悪感をもつほどに、最大のおもてなしを受けました。


おもてなし=日本というイメージが僕の中で強かったのですが、僕はこの村での方がおもてなしを受けたなと感じました。
おそらく、どの国に行っても小さな村や集落ではこういったおもてなしの心はあるのだと思います。


東京のように都市になるにつれ、個人で生きることが強くなり、おもてなしの心は徐々に薄れていくのだと思います。
東京で僕がこの村で受けたおもてなしは経験できないと思います。


そんな東京がある日本がおもてなしの国だといわれる理由は“ビジネスおもてなし”が優れているからだと思います。


つまり単なるお客様社会です。
確かにお客様に対してのおもてなしのレベルは諸外国よりも高いと思います。
しかし、それは心のこもっていないおもてなしです。


お客様のためのビジネスおもてなしを日本が世界に誇るおもてなしだと少し勘違いしてたのかなと思いました。
本当に誇れるおもてなし精神を築いていければいいなと思いました。


少し村の人とは話が逸れましたが、村の人たちと関わって思ったことです。

 


最後にボランティアについて少しだけ書きます。


ボランティアですが、雨の影響やキャンプリーダーが積極的ではなかったことにより正直あまりできていないのです。
ボランティアがどうだったかといわれると特に感想はありません。


僕はこの後も3回ボランティアに参加するつもりですが、すべて1ヶ月もないくらいの期間です。


正直な思いとしては、ボランティアをして自分の持っている何かを使って現地に貢献しようとは思っていません。


そういう思いが強いなら、長期間で同じところにいると思います。
僕がそうしないのは、僕は学びたいという気持ちの方が大きいからです。


現在の僕は短期間で人に何かを与えられるほど能力はありません。
また僕が経済学や環境などの専門分野に詳しいわけでも、日本語以外の言語が話せるわけでもありません。
そんな僕が短期間だけ農業や教育を手伝ってもその他大勢の人たちとたいして変わりません。
世の中にあるほとんどボランティアは専門性が必要ではなく、誰がやっても大きな変化はないと僕は思っています。


ですから、僕はボランティアで何かを与えようとは思っていません。
現地の人と同じように暮らして同じ目線に立って同じことをしたとき何を得られるのかなと思ってボランティアに取り組んでいます。


そしてその中で僕と関わっていく上で現地の人たちや一緒にボランティアをするメンバーが僕から何かを学んでくれたとしたらそれが一番最高の形だなと思います。


現時点での僕のボランティアにたいする考え方を書いて終わりにしようと思います。


ボランティアでは世界を変えられない。
ボランティア自体にそれほど大きな意味はない。
ただその後に繋がるきっかけとしては大きな意味を持つと思う。

 

6/4 記