モラトリアムを考える

こんにちは!


なおとです。


今回はまだ休学をして2ヶ月ほど、世界一周のために日本を出発して二週間ほどしか経っていない僕が大学や休学について思ったことを書いていきます。


僕が今の大学に入ったことや一年間休学したことが果たして良かったのか悪かったのか今は分かりません。
おそらく10年、20年の時が過ぎても分からないと思います。
今やっていることが正しいかどうかは多分永遠に分からないんだと思います。


ただ“過去”が“今”を、“今”が“未来“を創っていることは間違いないです。
だから今をどのように生きるかは大切なことだと僕は考えました。


その中でも大学の四年間をどう過ごすかは非常に重要です。


最大の理由は自由だからです。


この大学の期間はモラトリアム期間だと言われることがあります。

 


モラトリアムとはE.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語です。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさします。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立していきます。

コトバンクより)

 

日本の大学は海外の大学に比べて、卒業するのが簡単で、勉強しなくても単位が取れると言われています。
実際、週に一回程度しか大学に行かなくても卒業できるという大学や学部は多いと思います。


もちろん、大学は勉強するところですし、現在の緩い状況を変えることができればいいです。
しかし、日本の大学が諸外国に比べて甘いのは最近に限ったことではありませんし、制度や風土も変える必要があり、一朝一夕で変わるものではありません。


では、この現状を嘆くのではなく、個人的に日本の大学制度をプラス面を考えてみるといいと思います。


日本の大学のメリットは、自由であることです。
自由は大きな武器であり、落とし穴でもあります。


自由を武器として使うためには次の3つのことが重要だと思います。

 


一つ目は、自分に向き合うこと。
時間があって様々な経験ができるからこそ、自らとの対話を忘れずに向き合うことが大切だと思います。


二つ目は、将来について考えること。
これは自分だけでなく、世の中全体のことも含めてです。将来を想像して不安になるのではなく、希望を持つことが大切だと思います。 


三つ目は、尊敬する人を見つけること。
尊敬する人になろうとする必要はなく、その人から多くのことを学ぼうという姿勢を持つことが大切だと思います。

 


この3つを忘れずに過ごせば大きな力になると僕は信じています。


日本の大学生というモラトリアム期間はとても貴重な存在です。


僕はこの大学生の間に何をするかではなく、何を考えながら過ごすかが大切だと思っています。


何をするかは、何を考えながら過ごすかの具体的な行動指針にすぎません。


つまり、この大学生活では何をしてもいいんだと思っています。


酒に入り浸ろうが、
勉強に没頭しようが、
サークルに入ろうが、
学生団体を立ち上げようが、
インターンをやってみようが、
毎日読書に勤しもうが、
恋愛に夢中になろうが、
寝ること中心の生活になろうが、
それ自体に深い意味はありません。


大事なのはこのモラトリアムをどのように捉えて、いかに過ごすかを自分で考えることだと思います。
僕はこのモラトリアムを日本で大学に通っているからこそ得られる貴重なものだと考えました。


休学も同様に、緩いとはいえ僕の生活にある程度の強制力をもつ大学から一度離れて、究極のモラトリアムを得られると思いました。
世界一周をしながら、自己と向き合い、将来を考え、尊厳する人を見つけていきたいと思っています。


日本においても就職状況の厳しさや景気の悪さからモラトリアム期間は消滅したという声をよく耳にします。

 

それならばなおさらラストチャンスです。

 

今ならまだギリギリ手に入るモラトリアムを改めて考えてみましょう。

 

5/29 記