なおと世界見物録(ペルー編)
こんにちは!
なおとです。
ペルーではぼらいやー17期の3人とさらに合流して、6人の大所帯でマチュピチュに行ってきました。
マチュピチュはクスコという街から一泊二日のツアーを組んで行ってきました。
1日目は片道6~7時間のバスに乗って、そこから3時間かけて歩きマチュピチュ村に着きました。
翌日はそのマチュピチュ村からバスで30分かけてマチュピチュへと向かいました。
マチュピチュを散策したあとは、また3~4時間歩き、その後バスで6~7時間揺られていました。
帰りは雨に降られてしまって、荷物を持ったまま、線路の上を道が悪いなか歩き続けました。
マチュピチュという遺跡そのもの以上に行き帰りのしんどさが上回るほどでした。
正直な感想としては、なぜ地球の裏側にあるマチュピチュにあれほど多くの人が行きたがるのか分かりませんでした。
確かに、想像よりも壮大な遺跡で、見た瞬間は写真で見たあれだ!と興奮しました。
しかし、南米までかかる時間、労力、お金、そしてクスコからマチュピチュまでの過酷な道のりを考えると「割に合わない!」と思ったのが正直な感想です。
それも人が作ったものに対してあまり感動しない僕の性格だからなのかもしれませんが…
もう一度、ここに来たいとは思いませんでしたね。
マチュピチュ以外は何をしていたかというと、クスコの街でゆっくりしていました。
観光という観光はしていませんが、クスコの街は歩いているだけでこれまで訪れた国にはないようなレトロな雰囲気が漂っていて楽しかったです。
レンガ作りの建物が多く、坂も多いので少し高いところから見下ろせばとても綺麗に街を見渡すことができました。
そんなクスコの街を歩いていて驚いたことが2つあります。
1つ目は、日本人が多すぎるということです。
街に一度繰り出せば、ほとんどの確率で日本人に遭遇します。
僕たちも1人ではなかったので、もし1人で歩いて注意していればもっと見つけられたかもしれません。
このクスコがサンフランシスコを除けば日本人遭遇率は一番高かったかもしれません。
そのせいか、日本語のメニューがあるレストランや円を替えられる両替所などがたくさんありました。
日本からこんなに離れたペルーで一定の影響力があることが不思議に思いました。
2つ目は、客引きが弱いということです。
発展途上国を旅したことがある人なら分かると思いますが、どこの国も客引きがしつこくつきまとってきます。
しかし、このペルーはノーといえば簡単に引き下がってくれます。
そのおかげで自ら客引きに話しかけに行って交渉したり、嫌な思いをせずに話すことができました。
ペルーがそこそこ発達しているからなのか、それとも人々の性格が理由なのか分かりませんが、客引きだけでいうと日本と近いような感覚がありました。
さらにいえば、クスコの一部だけなのかもしれませんが、お金や物を観光客に要求する人をほとんど見かけませんでした。
観光地に行ったときに、物乞いがいない国はこれまでに何ヶ国あったでしょうか。
ほぼ記憶にありません。
綺麗な街並みに、貧しい人を見かけず、危ない目にも合わなかったので僕の中でのペルーの印象は大きく変わりました。
危険を感じなかったのは6人で行動していたからかもしれませんが、少なくとも僕がイメージしていた南米の観光地ではありませんでした。
マチュピチュだけを求めて行くことは個人的にオススメしませんが、クスコという街を味わったり、ペルー以外の国と行くのならおもしろい経験ができるのではないかなと思います。
次はボリビアのウユニ塩湖に行ってきます。
1/12 記
なおと世界見聞録(プエルトリコ編)
こんにちは!
なおとです。
今回はプエルトリコです。
プエルトリコといえば…これまた野球と海ですね。
前々回のWBCでは日本が負けた相手です。
海に関しても世界でもトップクラスの綺麗なビーチがあります。
プエルトリコは正式には国ではありません。
アメリカの下にある自治領です。
感覚的にはグアムやサイパンと同じようなものです。
アメリカからの飛行機は国内線ということになりESTAも必要です。
そんなプエルトリコは「地上の楽園」と言われることもあります。
5日間の旅を終えた僕の印象はそれに近いものがあります。
その要因として次のようなものが挙げられます。
治安が良い、公用語はスペイン語ですが英語も結構通じる、海がめっちゃ綺麗、サンファンの旧市街地はオシャレ、アメリカよりは物価が安い、建造物は見応えがある、過ごしやすい…
パッと思いついたものでこのようなものがあります。
ハワイやモルディブ、バリなどもそれに近いものがあるのかもしれませんが、僕はプエルトリコの雰囲気が好きになりました。
また将来、バカンスとして来れたらいいなと思います。
海には2回入りました。
プエルトリコの海は波が強くて、これまで泳いできた海とは比べものになりませんでした。
引き波のときは太ももが浸かる程度なのに、波が寄せてくるときは全身が波に飲み込まれるほど高いときもありました。
サーフィンにはもってこいのビーチでした。
僕はサーフィンの代わりに浮き輪で波に乗っていました。
うまく波に乗れたときは1度の波だけで30-40mも進むことができました。
1/2にはフラメンコビーチという世界No.1と呼ばれていることもあったり、なかったりするビーチへ行ってきました。
車で1時間、船で1時間半、車で15分かけて行ってきました。
正月のせいか人も少なくて存分に楽しむことができました。
ただ数ヶ月前の台風の影響で立ち入り禁止区域があり、このビーチの目玉であるビーチ沖にある戦車を見ることはできませんでした。
これだけが悔しかったです。
海以外は何をしていたかというと、サンファンの旧市街地を観光していました。
歩いているだけで楽しくなりました。
パステルカラーのカラフルな家が綺麗に並んでいていわゆる“インスタ映え”がする街並みでした。
そしてその周辺に世界遺産の要塞や政府機関、大聖堂などもあり、抑えておきたいスポットは行くことができました。
ヨーロッパに行ったことのない僕としては、ヨーロッパの影響を強く受けているプエルトリコがとてもヨーロッパ風でオシャレだなと思いました。
マンションやビル、ホテルなども揃っていて街自体が綺麗なプエルトリコはなぜ周辺のカリブ海の国々に比べて発展しているのでしょうか?
おそらく、アメリカの自治体に所属しているからだと僕は思います。
台風で大きな被害を受けたときもアメリカ本土からたくさんの支援を受けていました。
日本も戦後、アメリカの下で国の建て直しを行ったからこそ今があるのではないでしょうか?
良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、発展のためにはやはり先進国からの支援は避けられないんだなと隣同士の国であるプエルトリコとドミニカ共和国を見て思いました。
もし今度ハワイに行こうかなと思っている方がいれば、もう少し脚を伸ばしてプエルトリコまで行くことをオススメしたいです。
日本人には知られていない地上の楽園へ!
1/4 記
なおと世界見聞録(ドミニカ共和国編)
こんにちは!
なおとです。
12/25~30の6日間はドミニカ共和国にいました。
ドミニカ共和国と聞いて何が思い浮かぶでしょうか?
僕は野球とカリブ海でした。
ドミニカ共和国はメジャーリーガーを数多く輩出している国であり、助っ人外国人として日本でプレーする選手も少なくありません。
綺麗なビーチと欧米人の別荘としても有名で、「プンタナカ、ボカチカ」という名前を聞いてなんとなく聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか?
3度も海に入って日本の年末にはないような年の終わりを過ごしていました。
僕が今回訪れた街は、首都のサントドミンゴ、バジャイベ、ボカチカの3都市です。
いずれも観光地ですが、それぞれ少しずつ雰囲気が違いました。
空港に着いた直後の印象として、肌の黒い人が多いというものがありました。
ドミニカ共和国の前に行った中米のコスタリカでは、いわゆるスパニッシュと呼ばれるようなアジア人と肌の色が近い人たちが圧倒的多数でした。
それに比べてドミニカ共和国は黒人とまではいかなくても、それに近い人が多くいました。
最初の2日間は首都のサントドミンゴを観光しました。
25日、クリスマスということもあって閉まっている店が多かったのですが、とある教会で地元の人によるコーラスをやっていたので無料で見ることができました。
知っている曲やクリスマスソングなど聴けて少し“海外のクリスマス”を感じることができました。
そして3日目はバジャイベという穴場ビーチへ行きました。
バジャイベに着いた瞬間、サントドミンゴとは違う雰囲気を感じました。
それは白人ばっかりだったからです。
見事なまでに黒人が減り、白人が増えました。
別荘があるようなビーチなので、ある程度は予想していたのですがまさかここまで変わるとは思っておらず驚きました。
さらに翌日はサオナ島というドミニカ共和国でも有名な島ツアーに参加しました。
行きの船は60人ほどの船に乗っていきました。
ここでも乗客は白人、乗務員は黒人かスパニッシュというようにくっきり分かれていました。
一時間半ほどかけて行くのですが、船の上ではノリの良い音楽とともにダンスを踊っていました。
ラテンアメリカの方々はなぜあんなに踊れるのか不思議なほどにうまいんですよね。
僕たちしかいない、日本人いやアジア人はそれを見ているだけでした。
サオナ島では絵に描いたような綺麗なビーチとドリンク飲み放題、ビッフェなど満喫できました。
僕が行ったビーチはどこも浅かったです。
足が着くので砂浜から100mほど離れることも可能でした。
4.5日目はボカチカに泊まりました。
ここはローカルな人々も多いようでこれまでのビーチに比べれば、色んな人がいたように思います。
その代わりにバジャイベやサオナ島にはなかったようなお土産やレストランのしつこい客引きもたくさんいました。
最近、無意識のうちに変化したこととして、完全に無視するのではなく、話を聞いてみようと思うことが多くなった客引きに対する僕の対応です。
海に入ることをメインとしたドミニカ共和国での観光でしたが、予想以上の出費でした。
何よりもまず物価が想像以上に高かったです。
観光地にいたということもありますが、日本と大して変わらないと思うことも多々ありました。
ただドミニカ共和国の平均年収は日本の1/7ほどらしいので、どのように過ごしているのでしょうか?
もっと地方のほうにも行けばそれが実感できたのかもしれませんが…
個人的にはトラブルが頻発して忙しいドミニカ共和国での滞在でしたが、短い日数の割には充実した日々を過ごせたのではないかと思います。
アジアのビーチに飽きた、日本人がいないところへ行ってみたい、カリブ海ってなんだか素敵、お金に少し余裕がある方がいれば是非ドミニカ共和国に挑戦してみてください。
英語はあまり通じないので、スペイン語やコミュニケーション能力が高い方のほうが行きやすいと思いますが…
英語が通じない国で旅をするというもの一つの面白さがあります。
日本も通じない国の一つかもしれませんね。
僕が大切だと思ったのは適当にOKと言うことでした。
少しドミニカ共和国に興味が湧いてきませんか?
1/3 記
ハプニング6
こんにちは!
なおとです。
本日12/30は朝9時のフライトでプエルトリコに行く予定でした。
しかし、なんと20時現在も僕はドミニカ共和国の空港にいます。
時系列で経緯を説明していきたいと思います。
6:00
ボカチカの宿を出て空港へ向かいました。
6:45
空港でチェックインしようとすると、プエルトリコ行きの搭乗手続きはもう終わったよと言われました。
ん?9時発の飛行機なのにもうチェックインが終わったのか、そんなわけがない、そう思いEチケットを見せました。
すると、その便は存在しないよ、予約を取ったところに電話しろと言われました。
予約取ったところってあんたのとこだよ!と思いつつ、カスタマーセンターに電話しました。
僕が乗るはずの便はキャンセルになっていたみたいなのです。
メールの1つもなかったくせに…
そして今日の夕方にプエルトリコ行きの便があったので、それに変えてもらいました。
飛行機の時間は17時。
暇すぎる…
7:15
朝食
12:00
昼食
12:30
僕より遅い便でプエルトリコに行くはずだった友達が空港に到着。
飛行機が遅延していることが発覚。
3度もメールが来て徐々に遅れていく様子。
14:30
チェックイン
Boarding passには危険人物の証であるSSSS のマークが刻まれていました。
何で俺が危険人物やねん!むしろ被害者や!
どないなっとんねん!
15:00
ラウンジへ。
またここでも2度メールが来て、さらにさらに遅れる様子。
僕が乗るはずだった飛行機がキャンセルになったことについての連絡がなかったことに、クレームのメールを入れていたのですが、返信がきました。
最初の返信メールがトンチンカンな答えだったので、メールですがまくし立てて怒りをぶつけました。
すると、謝罪と$50の航空会社クレジットをもらうことができました。
やったー!?あれ、アメリカの航空会社のクレジットもらっても今後使うことないやん。
あぁ結局この$50も使うことがなさそうだなぁ…
18:00
ついにラウンジを追い出されました。
18:30
飛行機の遅延のお詫びとして$16まで使えるお食事券ゲット。
デザートとジュースなど$15ほど使いました。
19:00
係員に呼ばれて僕とある女性が手荷物検査のところへ連れて行かれました。
お互いSSSSのチケットを持っていました。
入念に身体や荷物をチェックされました。
もちろん問題なくその検査をパスしましたが。
20:00
いよいよ搭乗ゲートが開きました。
20:45
飛行機が飛び立ちました。
21:45
プエルトリコに着きました。
ぼらいやーの同期と合流して、これから楽しく年を越したいと思います。
12/30 記
大人のみなさん、教えてください。
こんにちは!
なおとです。
世界を旅しているとそれぞれの国々の、そして日本の問題点に気付きます。
日本の抱えている問題といえば…
待機児童、セクハラ、学歴社会、子供の貧困、天下り、同性愛、働き方、詐欺、ブラックバイト、地方格差、就活、ネット依存、会社の不正、虐待、経済低成長…
とりあえずこのあたりで…まだまだありますね。
たくさんの方々がこのような問題を解決するために日々奔走していると思います。
そして僕はこれまで言葉で、行動で、ニュースで大人の方々からアドバイスをいただきました。
すごいなと思う方が数多くいました。
本当にいつもありがとうございます。
ただ一つだけ腑に落ちないことがあります。
それは避けている話題がありませんか?ということです。
それは
政治家以外の大人の方々からこのような話を聞くことはほぼありません。
最初にあげた日本の抱えている問題が大切なのは言うまでもありませんが、その前の土台は?と思ってしまうのです。
憲法があるから、平和が保たれているからあらゆる問題を解決できるのではないでしょうか?
確かに、憲法も自衛隊も沖縄基地も身近に感じる人は少ないでしょう。
見て見ぬフリをしていれば、自分の知らない誰かがうまくやってくれると信じているからですよね?
しかし、来年には憲法改正の是非を問う国民投票が行われるかもしれません。
いい機会じゃないかなと思うのです。
僕はどういう選択をすればいいのでしょうか?
教えてください。
憲法改正はすべきですか?
教えてください。
自衛隊は今のままでいいのですか?
9条2項は変えるべきですか?
教えてください。
沖縄の基地はそのままでいいのですか?
46都道府県の人は関心を持たなくてもいいのですか?
僕より多くのことを知って経験して考える能力もある、みなさんの意見を聞いて判断したいのです。
賛否両論があるのは分かっているので、聞いた後は自分で判断します。
国の根幹である問題に対して、見て見ぬフリをしても何とかなってきた過去とは違って、投票する日が近い未来にやってくるかもしれません。
場合によっては僕たちの生活が根底から覆される可能性もあります。
最近の若者は何も意見しないと言われますが、答えがなく難しくて、発言すれば叩かれやすいこの問題に触れない方々も同じじゃないですか?
政治家と自衛隊員と沖縄県民に丸投げしてるだけだと思ってしまいます。
教えてください。
選択するための素材をください。
これまで勉強の仕方も、就活の仕方もたくさん教えてもらいました。
同じように教えてください。
教えていただける日が北朝鮮にミサイルを打たれた後、徴兵制が敷かれて子供が死んでしまった後、家の隣に基地ができた後、自分の人権が守られなくなった後でないことを願っています。
教えてください。
12/30 記
なんて日だ!
こんにちは!
なおとです。
一昨日にドミニカ共和国に着きました。
ドミニカ国もあるみたいなのですが、僕がいるのはドミニカ共和国です。
カリブ海随一の綺麗なビーチがあるということでやってきました。
一昨日は青年海外協力隊の方にお会いして、色々とお話を伺いました。
そして、昨日は友達とともに首都であるサントドミンゴを観光しました。
準備をしようといざ、部屋を出ようとすると…
あれ、鞄が軽く感じるなと思い中を確認するとデジカメがありません。
全ての荷物、部屋の中を散策しても見つかりません。
デジカメの最後の記憶はコスタリカの最終日に観光をしたときです。
ホステルを出るときにはくまなく忘れ物がないか確認したはずなのですが…
どこかで忘れたか、盗まれてしまったようです。
数万円もしたカメラが…
まだ動画のデータは移してなかったのに…
これからの絶景が綺麗にとれない…
めっちゃショック…
んなこと言っていても仕方がない!
切り替えて観光をしよう!
あいにくの土砂降りで何度も雨宿りを余儀なくされました。
そして行こうと思っていたチョコレート博物館と日系ドミニカ人が経営している宝石店が閉まっていました。
さらに、ドミニカ共和国に来たらやってみたいことの一つである野球観戦ですが、なぜか僕のUberが使えず断念しました。
夜の遅い時間帯に普通のタクシーを使うのは怖くて諦めてしまいました。
メジャーリーグやWBCでも存在感を強く表す、そして筒香などの日本人有名選手も参加していたウィンターリーグが開催される野球大国“ドミニカ共和国”の野球が見たかったです。
世界中サッカー、サッカーで個人的にはつまらなくて、ドミニカ共和国で見れるとワクワクしていただけに無念です。
『なんて日だ!』
良いことがない、次々に嫌なことが起きる1日でした。
と嘆いていても仕方がないので、ポジティブに考えようと思います。
カメラがなくなった
→誘拐されるはずだった自分の身代わりになってくれた。今後強盗に狙われる危険性が少し減った。
土砂降りの観光
→夜涼しくなった。海外のスコールや洪水をみることができた。
店が閉まっていた
→開いていたらそれほど欲しくないものを勢いで買ってしまっていた。節約できた。
野球を見れなかった
→雨の影響で中止になっていた。もし行っていれば犯罪に巻き込まれていた。
あぁなんて幸せな1日だったのだろうか。
今日以降のカリブ海を存分に楽しめる。
ということで、命や安全に関しては何の問題もなくいられることに感謝して今日も過ごしていきたいです。
12/27 記
なおと世界見聞録(コスタリカ編)
こんにちは!
なおとです。
今回は久しぶりの見聞録です。
僕がそもそもコスタリカという国に興味を持った理由は軍隊がない国ということを知ったからです。
数年前、安保法制の議論がされていたときに中米にコスタリカという軍隊のない国があり、それを参考にすべきだという意見を聞いたことがきっかけでした。
その後、ネットで調べてみたり、本を読むとさらに興味を持ちました。
コスタリカへ行く前のイメージは「軍隊なし、生物多様性、コーヒー、美人が多い」でした。
コスタリカで検索するとこのワードがよく出てきます。
それとともにコスタリカは幸せな国として有名です。
幸せな国といえば、ブータンや北欧の名前を聞くことが多いですが、このコスタリカも幸せな国として有名なのです。
日本人にとって物理的にも心理的にも遠いコスタリカですが、是非多くの人に知っていただきコスタリカという国について考えてもらいたいなと思います。
コスタリカは中米にあります。
中米の中では比較的安全な国とされています。
先進国ではありませんが、発展途上国とも言えないような国です。
性格は非常に陽気で、夕方頃からレストランやお店は閉まっていき、夜になるとシャターが目立ちます。
生活水準自体は高いように感じましたが、家族や親戚との繋がりの強さは境が分からないくらいに自由で流動的でした。
コスタリカ特有の言葉に"Pura Vida"というものがあります。
Pura Vidaとは直訳すると純粋な人生という意味ですが、『最高、楽しもうぜ、いいね、適当に行こうぜ、笑っちゃうよ』みたいなイメージを含むものです。
コスタリカの人々はいつもどんな状況でもこの言葉を使ってその場を楽しみます。
僕も何かにつけてPura Vidaと言っていました。
コスタリカを語るのにこの言葉は欠かせません。
コスタリカの人々の考えや行動の軸になっているのだと僕は感じました。
とにかく楽しもうという気持ちが常にあるように思いました。
その心構えこそが幸せの国と言われる所以なのかもしれません。
僕の拙い英語で国ついての話をしたときのことです。
僕は国のプライドは何だと思う?と聞きました。
(聞き返されたので日本食だと僕は答えました。)
多くの人から自然溢れる生物多様性、軍隊がないという答えを聞くことができました。
政府が掲げていることに国民がしっかりとついていっているなと感じました。
そして僕が話した人はみんな今の政府や政治に何も文句がないと言っていました。
これは驚きました。
これまで訪れた国でそんな話を聞いたのはコスタリカ、ブータン、ルワンダだけでした。
ネットで調べればそれぞれの国の問題点や課題は多く出てくるのですが、満足しているという人が一定数いるというのは驚きです。
僕はこのような国から学べることは多くあるのではないかと思います。
共通している点は歴史や他国から学んで、これまでの常識ではないところを目指しているということです。
そもそも国とは!というような定義から改めて考えた結果なのだと思います。
コスタリカは正直、それほど有名な観光地はありません。
強いていうなら珍しい動植物が生息していることくらいです。
おそらくコスタリカの人々は今後これ以上何かを積極的に作ろうと思っていないのではと思います。
今あるものをどう見せるか、どう使うかなのだ思います。
次から次へと新しいものを作って成長して喜ぶのではなく、今あるものを自分たちなりに精一杯楽しむことに重きを置いているのだと思います。
コスタリカの最大の魅力は人々の考え方なのでと確信しました。
僕には飲んで踊って歌ってというコスタリカ、ラテンアメリカの文化はそれほど好きではありません。
コスタリカの考え方がそのまま日本に適応できるとは思いません。
(自分達が楽しむために他人に迷惑をかけることも多々あるなと感じたので)
ただ取り入れると面白いなと思う考えや制度が多くありました。
このブログではコスタリカの良いところばかりを書きましたが、僕が思う欠点もあければたくさんあります。
それも含めて日本人にとっては非常に興味深い国だと思います。
是非みなさんもコスタリカを感じて欲しいと思います。
往復10万円程度でいけると思うので…
12/25 記