意味なんてない!

こんにちは!

 

なおとです。

 

みなさんは日々生きているなかで、"意味"についてどのくらい考えますか?

 

早起きをする意味。

バイトする意味。

飲み会に行く意味。

Instagramに写真を投稿する意味。

神社に行って神様に手を合わせる意味。

恋人と付き合う意味。

 

世の中、意味のないことだらけです。

 

大抵のことは他人から見れば、意味のないことのように思います。

 

その時は自分にとって一大事であっても振り返れば大したことがなかったということなんて日常茶飯事です。

 

 

では、僕たちの人生にはどのような意味があるのでしょうか?

 

僕は意味のないことをどれだけ意味を持たせられるかだと思います。

 

先日のある一日のことです。

ふと、朝インターンへ向かう途中、僕がインターンをしている意味について考えました。

すると、僕が旅をしている意味、僕がアメリカへ来た意味、僕が今歩いている意味はなんだろうという思いが溢れ出てきました。

 

その時に僕は感じました。

 

何もしなければ何も生まれない『無』の状態から何かを生み出そうとしているのではないかと…

 

 

「意味のないことに意味を持たせる」

 

 

これが自ら実感できるようになったとき、人は喜びや嬉しさを感じ、価値をそこに見出すのだと思います。

 

 

恋愛においても同じです。

僕はこの考え方に非常に共感をしました。

http://xn--rck1ae0dua7lwa.com/blog/2016/08/13/couple-meaning/

 

 

意味なんてない!

初めは全てがそうです。

 

 

元から意味があるものではなく、自分たちの手で意味のあるものにしていきましょう。

 

僕がこのブログを書く意味は、自分の思考と言葉を磨くためです。

 

きっとブログを始める前と変わっているはずです。

 

10/15 記

 

 

 

 

Happy Birthday!!

こんにちは!

 

なおとです。

 

実は本日10/12は、僕の21歳の誕生日です。

 

現在滞在しているアメリカでもお酒が飲めるようになりました。

一度くらいはアメリカンなバーに行こうかなと思っています。

 

そんなことはさておき、少しおやっと思ったことがあります。

 

海外で誕生日を迎えて思ったことは、誕生日って厳格なようで緩いなと思いました。

 

例えば、10/11に僕がスーパーでお酒を買おうとしても買うことができません。

たった一日だったらいいじゃないの!と思いますが、そういうわけにはいきません。

 

一方で時差というものがあります。

僕は日本で生まれたので日本時間で誕生日を迎えるべきなんじゃないかという思いが頭をよぎりました。

 

日本とサンフランシスコの時差は16時間です。

 

場所が変わるだけで、誕生日を迎える瞬間が変わってしまうということが時差があるので当たり前のことなのですが、何か違和感もあります。

 

誕生日を迎えるにあたって時差に興味を持ちました。

 

同じ瞬間を過ごしているのにも関わらず、時間が違うのです。

 

時差は、時間は、人間が作ったものに過ぎません。

 

ということは、誕生日だって人間が作り出したものでしかありません。

 

時間という概念などなければ、誕生日に喜ぶことも悲しむこともありません。

 

とは言いつつも、僕たちは時間に従って生きているので、誕生日を迎えたことを単に終わらせるのではなく、過去と未来に繋がる地点だと捉えてみようと思います。

 

また自分が今21歳だと分かることも幸せだなと思います。

 

一つは、人生の平均寿命を考えたときにあとどのくらい生きるのか想像することができるからです。

 

もう一つは、これまでに訪れた国では自分の歳が分からない子供たちにたくさん会ったからです。

自分の年齢が分かるという当たり前に感謝したいです。

 

去年、20歳になったときに掲げた目標“幸せになる勇気を持つ”は達成できたのでしょうか?

 

答えは自分でも分かりませんが、幸せな一年を過ごせたかなと思っています。

 

21歳の目標は『失敗をする』にします。

ただし、死ぬこと、人を殺めるという失敗は除きます。

 

最後に、メッセージをくれた方々ありがとうございます。

 

10/12 記

なおと世界見聞録(ケニア編)

こんにちは!


なおとです。


ケニアへもルワンダ同様、4日間だけの滞在でした。


凶悪都市ナイロビに行くということ、お腹の調子が良くなかったことから初めてゲストハウスではなくホテルを予約しました。


シングルルームの素晴らしさとお湯が出ることに感動しました。


ケニアの最大の目的はタンザニアのサファリで見ることができなかったライオンを見ることです。


高いお金を払ってサファリに再挑戦したのですが、ライオンを見るためだけといっても過言ではないです。


結論からいうと、ライオンを見ることができました。


欲を言うともう少し近くで長い時間見られれば良かったなと思っています。


サファリに行った日以外は、ナイロビには特に観光する場所もないのでダラダラと過ごしていました。

 


ただ奇跡が二度起きました。


ぼらいやーの同期がたまたま同じ時期にナイロビにいたのです。


本当に偶然時期が被り、1日だけ会おうかという話になり、半日遊ぶことになりました。


といってもお昼ご飯を食べて、カフェでゆっくりした後、公園でボートに乗り、キャッチボールをして、晩飯を食べたというだけのわざわざケニア出する必要あるかと突っ込まれるような過ごし方でした。


実際、観光目的で行く国はやることがなくて時間を持て余すことが多いです。

 


もう一つの奇跡というのが翌日でした。


それではまた年末に会おうねと言ってお別れをした翌日、ゾウの孤児院に行くとまたもや再会したのです。


さすがにこの広い世界の中、同じ時期に、同じ都市、そして同じ時間帯に同じ観光スポットにいるという奇跡に驚きました。


ここまで自分のことばかり書いて、見聞録になっていませんね。

 

すいません。

 


しかし、正直に言うとたった4日間をビビりながら過ごしたのであまりケニアのことが分かりません。


その中でも感じたことを少し書ければいいなと思います。


まず、ナイロビという大都市に驚きました。


ナイロビのシンボルになるようなタワーがあったり、時計台があったりしました。


東京とまではいきませんが、さすがアフリカ最大の都市だなと思いました。


交通渋滞もすごくて解決手段を早く打たないと大変なことになるなと感じました。


ナイロビ市内を歩いていて思ったことはアジアの発展途上国に似ているということです。


横断歩道なんてものは機能していないし、強引さがないと歩けないですし、いろんな人からサファリやタクシーの勧誘の声かけがあります。


予想していたとおりという印象でした。

 


僕にとって新たな発見だったのは、高級住宅街とスラム街です。


少し市内から離れたところに高級住宅街がありました。


見た目は日本の一軒家と似ていて綺麗な外観でした。


さらにその規模は日本の平均的な一軒家の3倍はあるのではないかと思う規模でした。


一方でスラム街も市内から少し離れたところにありました。


中まで行けていないので詳しいことは分かりませんが、おそらくアジア諸国にも見られるような典型的なスラム街のようでした。


この2つを見て思ったのが、先進国に比べて地域コミュニティが強い意味を持つケニアのような国でも貧富の差によって住む場所がはっきりと分かれているということです。


お金持ちはお金持ちのみのコミュニティだけで生きていこうとするのが今の世界のスタンダードなのでしょうか。


個人的には腑に落ちない思いです。


9/25 記

 

とある空港でキレそうになった話

こんにちは!


なおとです。


現在、ナイロビからモロッコカサブランカ空港を経由してニューヨークへ渡っています。


8時間の長期フライトが2回あります。


是非ともその間のカサブランカ空港でのトランジット4時間を有効に使って体を休めたいところだったのですが、このカサブランカ空港ではイライラさせられ続けました。


ナイロビでのチェックインの際、カサブランカ空港からニューヨークまでの航空券はカサブランカ空港で取ってくれと言われました。


言われたとおり、トランジット専用手荷物検査の前にある航空会社のカウンターへ行きました。


本来ならパスポートを見せると、航空券を発行してくれて手荷物検査へと進みます。


しかし、アメリカにはVISAのようなESTAと呼ばれる渡航許可証が必要です。


それを見せろと言われたので、見せたのですが、なぜか浮かない顔の職員…


職員同士で何かを話し合った結果、少し待ってくれと言われました。


そこから数十分待っても何も反応がないので、もう一度聞いてみると、また同じようにESTAを見せろと言われ、見せたら分からなさそうな顔をして待ってくれと言われました。


そしてそこから数十分後、次は他の職員に呼ばれてそこへ行くもやはりESTAとパスポートを見て、結局待ってくれと言われる始末。


この時点で1時間半ほど待たされました。


またしばらくすると、少し雰囲気の違った職員が来て、またパスポートとESTAを見せました。


するとまたまた、待ってくれと言われました。


wait, wait, waitしか言われないこの状態に腹が立って、あと何分待てばいいんだと聞くと10分と言われました。


しかし、これまた30分が過ぎても何の連絡もありません。


堪忍袋の緒がきれた僕は先ほど対応した職員の元へ行き、いつになったら僕は手荷物検査へ行けるんだと聞くと、まさかの返答が…


「ボーディングパスを持って来い」


ふざけるなよ、ボーディングパスの発券を何度も待て待てと言われ、ついには自分には関係ないというような発言。


こいつでは埒があかないと思った僕は一番最初に僕を対応した人の元へ。


もう3時間以上も待っているが、いつになったら対応してくれるんだと聞くとここでもまさかの返答…


「私は知らないよ、私に責任はない。」


そう言って違う仕事を黙々とやり始めました。


もうダメだ、この空港職員にまともなやつはいないのか。


書類を見てもこれでよいのか判断できない、
分からなかったらとりあえず待てと言う、
そしてその後はほったらかし、
挙げ句の果てにはこちらが話しかけても知らんぷり、
法律がなければ殴っているところでした。


その後こいつらに話しかけても腹が立つだけだと思った僕は、航空会社カウンターの本部室みたいなところへ行きました。


そこで状況を伝えると、その方は親身に対応してくれすぐにボーディングパスを発券してくれました。


4時間以上あるはずのトランジットが既にゲートオープンの時間になっていました。


そして、その後も小さな苛立ちが畳み掛けてきました。


空港の過度に重複した手荷物検査、
乗客の順番抜かし、
水を買ってもお釣りが返ってこない、
水が残っているペットボトルを処分してくれと頼むとここで全て飲みきれと言われる、
そして何より飛行機内を含む空港職員の態度の悪さ…


入国もしていない国モロッコが大嫌いになりました。


どんな綺麗な町並みがあるのか知りませんが、一生行きたいとは思いません。


誠意の“せ”の字もない態度がどうしても許せませんでした。


以上、僕がキレそうになった&ストレス発散のための今回のブログでした。


お付き合いいただきありがとうございました。


9/25 記

働くについて改めて考えた

こんにちは!


なおとです。


突然ですが、みなさんは何のために働きますか?

 


1度見たことがあるのですが、改めて「LEADER2」というドラマを見てみました。


このドラマはトヨタ自動車をモデルにされた作品です。


戦前、欧州やアメリカなどの外車天国だった日本社会に国産自動車を普及させようと夢見る愛知佐一郎とそれを支える販売店の奮闘を描く熱い物語です。


当時、日本に国産車を走らせ一家に一台持つ時代が来ると語れば大笑いされ、そんなことはあり得ないと言われ続けました。


しかし、現在の日本ではトヨタを始めとする企業が国産車を作り、一家に一台が当たり前の時代になりました。


それどころか、これまで僕が訪れた全ての国で日本車が走っています。


日本車がこの世から消えれば、世界の自動車の八割はなくなるのではないかと思うほどに見渡す限り日本車です。


ドラマはフィクションではありますが、「国産自動車などあり得ない」と笑われた時代からたった70年ほどで世界の自動車は日本の自動車になりました。

 

 


僕はこのドラマを見て二つのことを思いました。

 


まずは働くということの捉え方です。


果てしない夢を達成するために、昼夜問わず働き、自分の時間はおろか結婚すらも成功するまではできないというシーンが描かれていました。


今の時代、こんな働き方は称賛されません。


確かに多くの人の犠牲(肉体的、精神的)があったと思います。


しかし、このような働き方なくして今の日本があったかと言われれば答えはNOだと思います。


日本が現在先進国になったこと、世界の至る所に日本の製品があることは“身を粉にして”働いたからこそあります。


そしてその当時の人が幸せでなかったかというと、本人ではないので分かりませんが、現在を生きる僕たちより幸せだったのではないかなと思います。


きっと働くということと夢を叶えることが同じだったからではないでしょうか?

 


もう一つは誰かを支えたいという想いです。

 

ドラマでは愛知佐一郎という人に惚れ込んだ社員や販売店の強い想いが描かれています。


何度も会社倒産の危機に直面する中で、愛知佐一郎を取り巻く人たちがそれを救います。


財政難による最大の危機を迎えたシーンで販売店同士で今後について話し合いをする場面があります。


自らも厳しい状況にあるにも関わらず、各販売店が出資をして会社を助けようという案に対して反対の声が上がるなか、一人がこのような発言をします。


「彼(愛知佐一郎)はこの国の50年先を照らすベッドライトだ。その明かりをこんなとこで消しちゃいけないんです。愛知佐一郎を殺しちゃいかん。」


ここまである人に対して強い想いが持てることに感動しました。


誰かを支えるために自ら犠牲になったり、大きな覚悟をすることは最近減ってきているのではないかなと思います。

 


今の日本があるのはここに書いた2つがあったからだと感じます。


笑われるような大きな夢を持って働いたこと、自分ではない誰かを必死になって支えたこと。


確かに時代は変わりました。


変えていかないといけないころは多々あると思いますが、僕が感じたような精神が日本を変えたことも事実だと思います。


働くことを考えたときに、賃金、労働時間、働きやすさ、やりがいをどうしても求めがちですが、

『自分の大きな夢、それがなければ大きな夢を追いかけている人を支える』

という視点があってもいいのじゃないかなと思います。


特に『誰かを支える』ということに関して僕は大きな可能性を感じています。

 

9/24 記

 

ハプニング4

こんにちは!


なおとです。


ルワンダでちょっとしたハプニングがありました。


実はルワンダはコーヒーで有名な国なのですが、首都キガリから車で3時間ほど離れたところにツアーを実施しているコーヒー農園があるので行ってきました。

 


朝の8時頃にゲストハウスを出発したのですが、その日の朝食でお腹の調子が悪いことに気付きました。


定期的にキリキリとお腹が痛みました。


下痢もしていましたが、耐えられないような痛みでもなかったので予定通りコーヒー農園があるフイエという街へ向かいました。


バスに乗っている間、何度か腹痛を感じるも降りたいと思うほどではありませんでした。


そしてコーヒー農園に着き、コーヒーツアーに参加しました。


天候も良く、腹痛も収まってたのですが…


歩き出して30分ほど過ぎると、突然の大雨が降り出しました。


普段ならすぐに止むはずみたいなのですが、その日は止む様子は一切なく、大雨の中でツアーを続けることになりました。


それとともに徐々に体調が悪くなり、コーヒーツアーの後半は集中力もなくなりガイドさんの英語をほとんど聞き取れなくなっていました。


ツアー終了後、若干吐き気がありました。


このまま帰れるだろうかと心配していたのですが、たまたま同じツアーに参加していた日本人の方がタクシーでキガリから来ていたので、帰りを乗せてもらえることになりました。


その後、その日本人の方と僕のためにコーヒー農園を案内してくださった青年海外協力隊の方と3人でビールを飲みに行くことになりました。


僕は体調が優れなかったので、ビールを飲むことを控えておきました。


しかし、徐々に体調は悪くなっていきました。


そしてキガリまでの3時間耐えられるのかという不安の中、タクシーに乗せてもらい帰りました。


タクシーに乗るや否や、吐き気に襲われそれから20分ほど我慢していたのですが、耐えきれず一度車を降ろしてもらいました。


マシになってまた車に乗り込んだのですが、やはりすぐに気持ち悪くなりました。


このままではダメだと思い、寝かせてもらいました。


キガリに到着したので起こしてもらったのですが、ゲストハウスの場所を伝えるために後半起きていた10分弱ですら、耐えるのがギリギリという状態でした。


なんとかゲストハウスに帰ることができましたが、その日本人の方に会っていなければ、僕はおそらくキガリへは戻ってこれなかったと思います。


翌日6:30に空港へ行かなければならなかったので、キガリへ戻れないことは飛行機に乗れないことです。


翌日空港までは少しマシになっていたのでタクシーを拾いケニアに向かうことができました。


本当に助けられました。


そのコーヒーツアーに僕だけが参加していたとすれば、きっとケニアに行くことはできなかったと思います。


感謝してもしきれません。
ありがとうございました。


日本から遠い異国の地で日本人の優しさが身にしみました。


9/25 記

 

なおと世界見聞録(ルワンダ編)

こんにちは!


なおとです。


ルワンダは“アフリカの奇跡”だと言われることがあります。


その理由は行けば分かります。
これまで行ってきたアフリカの他の国々とは一線を画しています。


ほとんどの方はルワンダと聞いて何も思いつかないのではないかなと思います。


強いて言うなら23年前の大虐殺、またはゴリラのイメージがあるのではないでしょうか?
僕もルワンダへ行くまではほとんど何も知りませんでした。


たった4日間の滞在だったのですが、本当に中身の濃い旅になりました。


それはひとえに青年海外協力隊の方にホームステイをさせていただいたり、ルワンダの話を詳しく聞くことができたからでした。

 


ルワンダにあるキガリ空港に着いて、街に出るとここは本当にアフリカかと思うような綺麗な街並みがあります。


ゴミはほとんど落ちていませんし、道路は舗装され、ここは表参道ではと思わせるようなオシャレな店がたくさんあります。


そして何より治安が良く、発展途上国に見られるような怖さがありませんでした。


とても23年前、国民の1~2割の方が虐殺された国だとは思えません。


なぜルワンダがこのような国になったのかというと、おそらく大統領の圧倒的なリーダーシップが主な理由だと思われます。


良い意味でアフリカにいることを忘れるようなルワンダでの生活。


僕はルワンダという国に魅力を感じました。
しかし、僕が見たものが全てではありませんでした。


青年海外協力隊の方と話をさせていただいて観光客や海外の役人には分からないルワンダの裏の部分を知りました。


確かに首都キガリは、アフリカのイメージとは全く違います。


さらに調べれば分かりますが、女性国会議員の割合は世界でもトップクラスに多いです。


しかし、一旦観光客が行かないような地方や裏路地に入ると電気、ガス、水道が通っていないということも往々にしてあるらしいのです。


女性の地位に関しても、地方ではまだまだ男尊女卑が根強く残っています。


言葉を選ばずに言えば、僕たちが見えるような表向きは良いように見せているが、見えない部分では追いついてきていないということです。


確かに大統領の独裁ともいえる数々の政策でルワンダは急激な成長を遂げています。


ただそれは決してルワンダという国の全てではありませんでした。


僕はこのことについて一概に良い悪いということはできないなと思っています。


実際、表向きの良さが功を奏して諸外国からの援助を受けることができたり、治安も良くなっています。


大統領に対する国民からの支持も絶大なものがありました。


しかしながら、やはり大統領がもし悪い方向に進んでいったときに止める手段がなかったり、地方は追いつけていない現状があるという点で難しさを感じました。


国作りとは本当に様々な方法があり、良い悪いの判断も簡単ではないなと思いました。

 


そんなルワンダですが、日本と似ている点がいくつかあり面白かったです。


ルワンダの人々の印象は『シャイ、ガツガツしていない、恥の感覚がある、親切』でした。


子どもたちは1対1で接するとシャイなのに大人数になるとその反動なのか、ものすごいパワーが返ってきます。


小学校へ行ったときはあまりのパワーに驚き、これまでにはない感動がありました。


これまで訪れた国は総じて日本よりガツガツしています。


タクシーや街中での勧誘があまりにもしつこく、嫌になることはよくありますが、ルワンダではNO!と一回言えば大抵引き下がります。


むしろ寂しさを感じるほどでした。


日本人の恥の感覚はなかなか外国人には理解されにくいですが、ルワンダの人々も同じような考えがあるのではないかと思います。


ぼったくりや盗みなどバレなければいいというような考え方が恥ずかしいと思っているような気がしました。


親切という点では、僕にとってちょうどいい具合での親切でした。


何か聞いたときに優しく教えてくれるのですが、その後必要以上に干渉してくることはありません。


相手のことを考えた親切が日本人の似ているなと感じました。

 


最後に、このたった4日間で合計13人の日本人に会いました。


話をした人数ではありませんが、至るところに日本人がいて、ついつい「こんなとこに日本人!」と呟きたくなりました。


ルワンダはアフリカには行きたいけど、少し怖いなと思っている人には是非オススメしたい国でした。


9/25 記