世界一周で学んだこと
こんにちは!
なおとです。
世界一周という自分にとって大きなものであればあるほどまとめが難しいと感じています。
これまで僕が経験した高校野球にしても、大学受験にしても、明らかな結果というものが存在します。
しかし、僕が世界一周をしたことによってどのような結果が生まれたのでしょうか?
強いて言うのなら生きて帰ってきたという最低限の結果です。
むしろ帰国後、果たして自分は成長することができたのか、何ができるようになったのか考えてもはっきりとした答えは見えないままです。
それでも今思っていることを文字に起こしてみたほうがいいと思ってこのブログを書いています。
僕が現在感じていることを3つ挙げてみたいと思います。
一、経験は経験のためにある。
二、鈍感力という武器。
三、幸せになるためには。
一、経験は経験のためにある。
経験については僕のブログでも何度か書いてきた内容です。
知識も重要ですが、やはり経験は大きな意味を持つと思います。
特にそれは次の経験においてです。
ある一つの経験をしても能力が上がるということはあまりありません。
コツコツと積み重ねれば大きな力となることは間違いありませんが、経験の最大の意義はそこにはありません。
ある経験によって、その次の経験に繋がるということです。
僕は子育てインターンに参加しましたが、そこで出会った人や出来事によって、ある方の講演会に行ったり、ボランティアをしたり、選挙のお手伝いをしました。
僕にとっては子育てインターンを経験したからこそ、次の経験が増えていきました。
世界一周も同じです。
世界一周をしたから感じれたこと、出会えた人などをきっかけにこれからも新しい経験をしていくことになると思います。
その積み重ねが大きな力になるのだろうと考えています。
二、鈍感力という武器。
一概には言えませんが、諸外国に比べて日本人は周りの顔色を伺う傾向にあります。
だからこそ、
ミスをしても正直に話せません。
あの人と話したいと思っても誘うことができません。
一人先頭に立って突っ走ることができません。
僕が出会った多くの外国の方は『寝坊しても笑顔、ミスをしてもすぐに謝る、思ったことは行動する』人が圧倒的に多かったです。
僕も怒られてもいないのに、自分がミスしたときにとても落ち込むことがあります。
敏感であるが故に気になってしまうのです。
しかし、外国の方の言動を見ていて鈍感であることは時には大きな力になるということを実感しました。
徐々に鈍感力をつけていきたいと思います。
三、幸せになるためには。
国が豊かだから幸せである。ことが必ずしも正しいわけではないということは周知の事実です。
幸せな国、ブータンにも行きました。
子供たちがたくさん笑っているアフリカの国々にも行きました。
世界のトップを走り続けるアメリカにも行きました。
どこが一番幸せなのでしょうか?
分かりません。
そもそもどのように指数化しようとも幸せを客観的に評価することは難しいです。
大切なのはその国が幸せかどうかではなく、自分がどう幸せになるかです。
ただ世界を旅して思ったことが一つあります。
自分の理想の幸福観を満たすことが必ずしも幸せとは限りません。
電気、水道、ガスがない村で過ごしても幸せな時間はありました。
ネットが自由に使えない国にいても幸せな時間はありました。
世界のイノベーションが起きるシリコンバレーにいても幸せな時間はありました。
自分が思っている幸せの形も世界も想像以上に小さいんだということを身を持って知りました。
そのように肌で感じれたことで、今悩んでいることや将来の不安が少しずつなくなっていくような気がします。
自分ってちっちゃ!って思ったときには幸せはすぐそこにあるはずです。
まだまだ学んだことはあります。
あると思います。
今はまだ気付いていないこともあるでしょう。
みなさん、まだ僕の話が熱いうちに会って話させてください。
話すことで自分の考えがまとまっていきそうです。
あと質問もたくさんください。
それでは、このブログを持ちまして、
『僕の語りたいことを語る時間』を終わらせていただきます。
2/22 記
世界一周まとめ。
こんにちは!
なおとです。
世界一周を終えた僕に対して「どこの国が一番良かった?」という質問は最も多く、予想しやすいものです。
僕も友だちが世界一周から帰ってきたら同じ質問をすると思います。
ただこの質問に答えるのがとても難しいです。
多分聞かれるたびに言った国が変わっています。
それはなぜか?
何を持って良かったとするかが難しいからです。
単純に楽しかったのか、経験として良いものになったのか、印象に残る景色や人に出会えたのか、人にオススメしたいのか、本当に多くのことを考えなければなりません。
その時々で何を持って良しとするか判断しています。
つまり、僕が言う良かった国は統一性がなく、その都度変わってきます。
ということで、
ジャンル別に良かった国を挙げていこうと思います。
《ご飯が美味しかった国》
1 スリランカ
スリランカカレーは抜群に美味しく、食べ過ぎでお腹を壊してしまいました。
2 コスタリカ
コーヒーがずば抜けて美味しかったのでこの順位となりました。
3 ケニア
鶏肉が日本よりも美味しく驚きました。
《自然が素敵だった国》
1 アルゼンチン
アルゼンチンのパタゴニア地方は歩くだけで楽しめるような自然が溢れていました。
2 タンザニア
やはりアフリカのサファリは圧巻でした。
3 ブータン
人の手が加えられていない山々や川、谷が多く残されていました。
《刺激的な経験をした国》
1 アメリカ
本来なら会えないような方々に会ってお話することができました。
2 ミャンマー
この時代に電気、水道、ガスのない生活をしてその中にも喜びを見つけました。
3 中国
日本以上に進んでいるところが多く、将来の日本が不安になりました。
ランキングはこのあたりで…
ランキングにしても選ぶのが大変でした。
最後に、
「これから行ってみたい、やってみたいことリスト10」と「もう一度行ってみたい、やってみたいことリスト10」を作って終わります。
《これから》編
・南極大陸に行きたい。
・ヨーロッパを周遊したい。
・海外でラフティングをしたい。
・アメリカをキャンピングカーで横断したい。
・新婚旅行でモルディブに行きたい。
・日本のまだ観光地化されていない街を旅したい。
・日本でヒッチハイクをしたい。
・富良野に行きたい。
・もっと経済をことを知りたい。
・全てファーストクラス、スイートルーム、ガイド付きで世界一周をしたい。
《もう一度》編
・ブロードウェイでアラジンのミュージカルを見たい。
・アメリカでアメフトとアイスホッケーの試合を見たい。
・ラスベガスでカジノをしたい。
・アフリカのサファリに行きたい。
・ブータンに行きたい。
・パタゴニアでトレッキングをしたい。
・プエルトリコの海で遊びたい。
・JALに乗りたい。
・ウユニ塩湖の星空を見たい。
・友達と世界を旅したい。
次が最後のブログです。
2/21 記
なおと世界見聞録(パタゴニア編)
こんにちは!
なおとです。
いよいよこれが最後の見聞録です。
今回のタイトルをパタゴニア編にしたのは、主にアルゼンチンにいましたが、3日ほどチリにもいたことやパタゴニア地方は他のアルゼンチンの都市とは大きく異なるからです。
一方でパタゴニア間でアルゼンチンからチリに移動しても大きく変わりません。
アルゼンチン編とするよりもパタゴニア編とした方が誤解なく、書けるかなと思ったのでこのようにしました。
パタゴニアといって、非常に大きな地域です。
その中でも僕はウシュアイア、プエルトナタレス、エルカラファテ 、エルチャルテンという都市へ行きました。
ウシュアイアは世界最南端の街です。
この「世界最南端」というワードが人々を惹きつける一方で、この言葉頼りな側面もありました。
プエルトナタレスはトレキッングの聖地パイネ国立公園が近くにあるチリの都市です。
街自体は歩いて周れるほどの大きさで、結構閑散としていました。
エルカラファテは世界第3位のペリトモレノ氷河に近い街です。
ウシュアイアと同様、メインストリートは賑わっていて住民の数も多く歩いているだけでも楽しかったです。
エルチャルテンはアウトドアメーカーのパタゴニアのモデルとなったフィッツロイを近くで見ることができる街です。
訪れた街の中では最も小さかったように思いますが、閑散としているというよりは小さく賑わっていました。
全体にパタゴニア全体としてはとてもなく大きな地域なのですが、1つ1つの街は小さく、基本的に徒歩での移動が可能で、自転車があれば車が必要ないのではというような規模です。
街周辺は手付かずの自然が残されていて、ドライブしているだけでも楽しむことができます。
山、川、湖、海、森などに囲まれていて、観光地化されていないところでも充分に見る価値があります。
南半球のなかでも緯度が高いこの地域では、この時期はなかなか太陽が沈みません。
午前5時から午後10時頃までは綺麗な青空を見ることができます。
夕飯を食べて寝ようとしても明るいので時間感覚が狂ってしまいそうになります。
12時までに寝ていたので、夜をほとんど見ることができませんでした。
もう一つの特徴としては、1日のなかでの寒暖差が激しく、風が強いということです。
基本的に南にあるとはいえ、夏なのでダウンコートが欲しいような寒さにならないのですが、朝晩はウルトラライトダウンやパーカーを重ね着する必要があります。
一方でお昼頃は半袖半ズボンで過ごすことができます。
風は1日中吹き荒れていることが多く、その結果として木の形が変わってしまっているものがあります。
葉っぱや枝が一方向に流されている木などもあります。
踏ん張っても足がふらいてしまうほどに風が強く吹くときもありました。
そんなパタゴニアですが、非常に物価が高いです。
パスタをレストランで食べようものなら20ドルは覚悟しなければなりません。
レストランの前に置いてあるメニューを見ると、日本では1500円ほどで食べれそうな料理が30〜40ドルすることもしばしばありました。
ペリトモレノ氷河のトレキッングを見てみれば、ミニトレキッングで25000円、ビッグトレキッングになると4万円を超えていました。
元々物価の高いと言われていたパタゴニア地方ですが、年々インフレが起きていて、氷河トレキッングだけでいうと、ここ数年は一年ごとに2倍ほど値上がりしています。
ここパタゴニアを存分に楽しむためにはお金と時間が必要だなと実感しました。
お金がなければ、ツアーに申し込むことができませんし、ご飯も食べることができません。
パタゴニアは都市によって魅力が全く違うことやトレキッングの中には泊まりがけで行くものも多いということから時間もなければ楽しむことができません。
僕は今回10日間でしたが、極力日程を詰めて、お金も最後ということで奮発しました。
それでもまだまだ行きたいこと、やりたいことがありました。
ぜひもう一度行きたいです。
パタゴニアはみなさんにおススメしたい場所です。
これまでもブログには社交辞令的におススメですと書いてきましたが、お金と時間がある人には本当におススメしたいです。
おススメしたいポイントは3つです。
一、自然が豊かすぎる
パタゴニアの自然は手付かずのものが多く、さらに他の地域では見ることのできない自然があります。
トレキッング中はもちろん、街を歩いていても自然に馴染んだ雰囲気があり楽しむことができます。
二、治安がいい
物価が高いことも関係しているのでしょうか。
これまで旅した国の中でもトップクラスで治安が良く、夏シーズンは夜が短いので長い時間で歩くことができます。
三、一度に多く魅力を感じられる
都市間のバスが活発に走っているので、日帰りを含めて他の都市に移動することが容易で、一度の旅行で多くのものを見ることができます。
1つの都市だけではもったいないです。
治安も良く、街も綺麗で、自然豊かなパタゴニアでしたが、日本からは最も遠い場所にありなかなかいざ行くとなるハードルが高くなってしまいますが、行って良かったです。
意外と高齢の日本人の方も見かけたので、是非死ぬまでにチャレンジしてみてください。
1/28 記
ハプニング8
こんにちは!
なおとです。
今回はハプニングというか、アホすぎる僕の行動です。
ボリビアからアルゼンチンの北部にあるサルタという街に1日滞在しました。
その後、ブエノスアイレスを経由して世界最南端の街であるウシュアイアへ向かいました。
空港では散々トラブルに巻き込まれている僕は国内線であっても3時間前を徹底しています。
そして例のごとく、サルタ空港を19:15発予定の飛行機に乗るために16時頃に空港に着きました。
チェックインできるかなとカウンタに行ってみると16:30発の飛行機のチケットを発券されました。
驚いたものの、特に問題もないのでその時間の飛行機に乗ってブエノスアイレスに向かいました。
実際、飛行機に乗るはずだった19:15には既にブエノスアイレスの空港へ到着していました。
ウシュアイア行きの飛行機は5:00発予定です。
10時間ほどの待ち時間ができました。
お腹が空いてきたので、15ドルほどするパスタを食べて、スマホを触っていました。
深夜になっても眠気はこないので、ここで無理矢理寝るよりは、飛行機で寝たほうが安心だと思った僕は相変わらずスマホ触ったりしながら、暇をつぶしていました。
そして午前2時。
チェックインができる時間になったので、カウンターへ。
国内線ということもあり、何のトラブルもなくチケットを発券してもらいました。
もう安心です。
手荷物検査を終えて、搭乗ゲートの前で2時間ほど待つだけです。
安心した僕は椅子に寝転びました。
念のため、目覚ましを4:15にセットして目をつぶりました。
…
あれ、今何時だ?
「5:50か…ん?あれ?5:50?!確か飛行機は5:00発のはず。遅延しているのか?」
頭が混乱したまま搭乗ゲートの前に立つと、全く違う便名が書いてありました。
そこから僕の表情は徐々に半泣き状態に…
スタッフに声をかけると、会社が違うよ、向こうの人に聞きなと言われました。
僕が乗るはずだった航空会社のスタッフの元へ行くと、ここでは何もできないからチェックインカウンターへ行けと言われました。
『ウシュアイアに行けない&航空券の買い直し&全ての予定の変更&預け荷物はどこへ?』
などの気持ちを抱えたまま、チェックインカウンターへ行きました。
すると、全く不思議がることなく他の便を探してくれました。
そして、3時間後の飛行機のチケットを発券してもらいました。
預け荷物は他のカウンターに行くように指示されました。
なかなか英語の話せる、僕の英語が通じるスタッフが見つからなくて右往左往しましたが、約1時間後無事に預け荷物も回収することができました。
航空券はStand byというキャンセルが発生しないと座席がないものでしたが、無事に飛行機に乗り込むことができました。
そして、予定より3時間後にウシュアイアへ到着しました。
寝過ごすというアホすぎることをやった僕ですが、その代償は小さくすみました。
臨機応変に対応してくれた航空会社のスタッフに感謝したいです。
日本までの帰国では4回飛行機に乗る予定なのですが、細心の注意をします。
もう気を緩めません。
1/23 記
なおと世界見聞録(ボリビア編)
こんにちは!
なおとです。
今回はボリビアです。
僕がボリビアに行った理由、それはウユニ塩湖です。
日本人にとっては言わずとしれた観光地です。
ちなみにこのウユニ塩湖ですが、欧米人を始め、ボリビア人もあまり行かないと言われています。
大抵の観光客が日本人か韓国人と言っても過言ではないのではないでしょうか。
なぜ日本人はあれほどにウユニ塩湖が好きなんだと何度か聞かれることもありました。
しかし、僕は日本人なのでウユニ塩湖に行ってきました。笑
ボリビアではウユニだけではなく、首都のラパスにも滞在しました。
ラパスの治安は相当悪いと言われていて不安もありましたが、常に六人で行動していたこともあって全く怖さを感じることがありませんでした。
ラパスでは東南アジアやアフリカを彷彿させる旧市街地と近代的な建物が並ぶ新市街に分かれています。
僕が怖さを感じなかったのは主に新市街にいたこともあるのかなと思います。
ボリビアの治安が良くない一つの理由として、政治の混乱もあるようです。
タクシーの運転手によると、現政府に不満を抱く人が多くデモも頻繁しているようです。
南米では、ベネズエラが大混乱していますが、ボリビアも次回の選挙に向けて今後さらに混乱する可能性があります。
タクシーの運転手と話していて驚いたことがあります。
想像以上に詳しく聞かれたので、なぜそんなに知っているのかと聞き返すと、ボリビアの学校ではみんな習っているとのことでした。
僕たち日本人がボリビアで知っていることといえば、ウユニ塩湖のみでした。
しかし、ボリビア人は原爆のことや太平洋戦争のことを知っていました。
改めて原爆投下は世界的に大きな出来事であるということと、遠い国のことは知らないなと実感しました。
せめて訪れた国の常識くらいは知っておきたいなと思いました。
その他、ボリビアでの一週間での滞在で感じたことを以下に書き出していきます。
物価が安く、屋台などで飯を食べれば200円程度で済ませられる。
ラパスやウユニの標高は4000m弱であり、すぐに息が切れる。
ラパスは夜景と郊外にある月の谷という観光スポットがおすすめ。
ウユニは小さい街で徒歩のみで街全部を見て回ることも可能。
飯が不味すぎるという噂があるが、普通に美味しい。
ウユニのポストカードのクオリティが低すぎる。
日本人がボリビアに行くということは、ウユニ塩湖が目的だと思いますが、これから行かれる方は気をつけて行ってください。
航空券も往復で取ればそれほど高くないので、友達などを誘って是非あの綺麗なウユニ塩湖を拝んでみてください。
1/22 記
ウユニ塩湖での観光
こんにちは!
なおとです。
1/14.15の2日間に渡ってウユニ塩湖へ行って来ました。
ウユニ塩湖といえば、数年前から日本で話題になっていますよね。
その大きな理由として個人的にはInstagramの存在があったのではないかと思っています。
ウユニ塩湖は間違いなくインスタ映えする写真が撮れるスポットだと思います。
昼間は天国のような、夕方は強烈な太陽の照り返しが、夜は満点の星空の鏡張りが、朝は神々しい光景を見ることができました。
そんなウユニ塩湖は僕の中で人生に一度は行っておきたい場所でした。
ウユニ塩湖の素晴らしさは僕がここで語るよりInstagramでウユニ塩湖を検索したほうが伝わると思います。
ちなみにこれが僕がInstagramです。
https://www.instagram.com/p/BeHTOQ5ncAH/
僕が語りたいことはウユニ塩湖に行って感じた2つの疑問です。
1つ目は入口付近の汚れです。
ウユニ塩湖へ着いたとき、無数の車が入口付近に止まっていました。
その車は泥道やガタガタな道の上走ってきた車です。
そんな車が1日に数百台もウユニ塩湖に乗り入れれば、綺麗なウユニ塩湖の水も汚れてしまいます。
さらに観光客でしょうか?
ゴミが落ちているところも見受けられました。
その様子を写真に撮ってきました。
みなさんが想像しているウユニ塩湖とはかけ離れていませんか?
ウユニ塩湖に訪れた人の何割がこのことに興味を示すのでしょうか?
世界でも有数の絶景を目の前にすると、それだけに集中が偏ってしまいます。
綺麗な、美しいものがあるときこそ、その逆にも目を向けてみるべきなのではないかなと僕は思います。
汚れているところを見ても解決できないかもしれません。
世の中には綺麗ものがあれば、必ずその裏には汚いものが存在します。
綺麗なものだけを見ていれば、それ以上何も考える必要がなく汚いもののことなどなかったことになります。
たとえ解決できないとしても、綺麗なものを見たときにこそ、その裏に目を向けて綺麗なものを見るの犠牲や反動、現実から逃げてはいけないと思います。
ウユニ塩湖は多数の観光客が来ることから、どんどん汚れていって10年後には綺麗な景色が見えなくなるとも言われています。
また他の新しい絶景を見つけるよという考え方もあると思いますが、それで片付けてしまって本当にいいのでしょうか?
2つ目はウユニ塩湖での過ごし方です。
ウユニ塩湖では僕たちも含めてですが、みんな写真を撮ることに必死になっています。
それもそのはず…
ウユニ塩湖の綺麗な写真を撮ってInstagramに投稿するまでがウユニ塩湖観光なのです。
例外なく僕もInstagramに投稿して、初めて100いいねをいただきました。
スマホやInstagram、一眼レフの普及によりこれまで以上に『写真を撮る』ことなしに観光は成立しません。
それ自体が悪いわけではありませんし、観光の一つの楽しみ方であることは間違いありません。
ただそれだけになってしまうのは悲しいです。
デジカメをなくした僕は写真を撮る機会が減りました。
すると自分の肉眼でしっかり見ようという想いが強くなりました。
そして、2つの考えが思い浮かびました。
1つ目はスマホでも一眼レフでも見ることができない景色があるということです。
スマホでは星空はほとんど写すことができません。
一眼レフでは撮れきれない微妙な色があるときもあります。
そして360°を見渡せる壮大な風景は360度カメラを使っても実際と同じようには見えません。
肉眼でしか見れない景色が必ず存在します。
2つ目は果たして数年後この光景を思い出せるのかということです。
今の時代、バックアップさえ取っておけば、いつどこでも撮った写真を見返すことができます。
しかし、本当に思い出せるでしょうか?
写真を見てあの時の写真を確認することはできます。
それは記憶しているのではなく、あくまで記録したものに過ぎません。
記録ではなく、記憶することできっともう一度同じ感動を味わうことができ、誰かに伝えるときもより感動を伝えられるのではないでしょうか?
写真を撮ることがダメなわけではありません。
肉眼で見る時間、そしてそれを記憶する時間も大切なのではないかと思ったのです。
ウユニ塩湖は、ただ綺麗な景色を見せてくれただけでなく、観光とはについても深く考えさせてくれる場所でした。
1/18 記
ハプニング7
こんにちは!
なおとです。
クスコからボリビアの首都であるラパスへ移動したときにある二つのものに巻き込まれました。
一つ目はデモです。
これまで行く国は外務省の旅レジに登録しておいたこともあって海外でデモに遭遇することはありませんでした。
本当に小さなものは見たことがありましたが…
ラパスの中心街を歩いていると、大人数がこちらに向かって歩いてきます。
空砲もたくさん打ち、警察も周辺で警護していました。
焦った僕たちはとりあえず路地裏へと逃げました。
待機して10分ほどで通り過ぎたので、その後問題なく道を通って観光することができました。
二つ目はDakarです。
Dakarとは、世界三大レースに数えられる大規模なレースです。
ボリビアを含む数ヶ国間を自動車やバイク、トラックなどが走ります。
このDakarの影響で道が閉鎖されて通れないということがありました。
これくらいなら仕方がないで済みますが…
僕たちはこのDakarのせいで大きく予定を狂わされることになります。
ラパスからウユニへ向かうためにバスチケットを買おうとしたときのことです。
Dakarの影響でバスの時間が変更する可能性があると言われました。
電話で確認するから待ってくれと各ツアーデスクで言われるなどしましたが、確認済みの安全だと聞いていたバス会社のチケットを取ることができました。
バスの予約はできましたが、実際のチケットはターミナルのバス会社窓口で交換するとのことでした。
バスターミナルに20時までに着いていてくれと言われ、当日は19:20頃に到着しました。
しかし、バス会社の窓口は閉まっています。
とりあえず20時まで時間があるので夕飯を食べに行きました。
帰ってくると、バスターミナル自体が封鎖されています。
僕たちと同じような状況の人たちでターミナルの入口付近はごった返していました。
控えチケットを見せて無理やり中に入っていくと、バス会社の人がいました。
どうなっているんだと聞くものの、英語は全く話せないようで、とりあえず言われるがままについていくことに…
もう一度ターミナルの外に出ると、点呼のようなものを始めました。
友だちががんばってコミュニケーションを取ってくれた結果、12時にバスが来るというようなことが分かりました。
そのときは20:30です。
ターミナルの外で3時間半またされるということです。
気温は5℃です。
最初のほうはトランプをして暇つぶしをしたりしますが、やはり暇ですし、眠いですし何より寒い。
体調の優れないメンバーもいるなかただただ待ち続けました。
僕も後半はしりとりを誘われてもできる気力もなく、ただ付近を歩き回り続けました。
そして、12時。バスは来ません。
ホステルに泊まる選択肢もよぎり、バスを諦めようとも思いました。
そしてさらに祈ること1時間、バスが来ました。
僕たちは一緒に待っていた外国人とももに飛び上がり踊りました。笑
本当に嬉しくて安心しました。
そして無事に暖かいバスへと乗り込みウユニへ向かいました。
…がしかし、
朝6時頃、目が覚めるとバスは止まっていました。
休憩かなと思い、もう一眠りして1時間後に起きてみるとまだバスは止まっています。
そうなんです。
Dakarによる通行止めです。
いつ動くか分からない、状況が読めないなか、昼になりました。
結果的に動いたのは17:30でした。
約12時間の待機。
そしてウユニに着いたのは20:30。
当初の予定では朝の6時頃でした。
バスターミナルの待ちと通行止めによる待ちを合わせると、14時間以上の遅れになります。
寒さのなか本当に来るか分からないバスを待ち続ける、いつ動くか全く分からない状況で半日待機…
1人だったら気持ちが切れていたかもしれません。
こんな状況でもそれほど苦しまずに待てたのはこれまでの海外でのトラブル経験と、何より友だちが側にいてくれたからだと思います。
残りの旅ではもうハプニングが起きないことを祈って、そしてハプニングブログはこれが最後でありたいと思います。
1/18 記