大人は努力ができる

こんにちは!

 

なおとです。

 

今回はパソコンで初めてブログを書いています。

スマホに慣れすぎて、パソコンの方が時間がかかってしまいます。

 

 

さて、僕がインターンをさせていただいているkintoneでは11/3のイベントに合わせて日本からたくさんの出張者がサンフランシスコに来られました。

現在は、逆に出張者だけではなく、 USメンバーも日本のイベントに参加するため日本へ行ってしまいました。

今日のオフィスは5名(うちインターン3名)しかおらず、ガラーンとしています。

 

先週はめまぐるしくオフィスに人が来たり、初めましてと挨拶する機会が多くありました。

その中で普段関われないような方々に会うことができ、たくさんの学びを得ました。

 

その中の一つに特に印象に残ったものがありました。

 

先週の火曜日にサイボウズの社員さんにご飯に連れて行っていただきました。

 

そこで僕が意外だと思った一言がありました。

 

「大人になってから努力を続けれる人はそれほど多くない。努力を続けられる人は強い。」

 

僕はその逆だと思っていました。

学生より社会人の方が努力できる人が多く、だからすごいのだと。

 

確かに学生、社会人に関わらず努力できる人、できない人がいます。

ただ努力を続けられる人はそれほど多くないのかもしれないと思いました。

 

高校生のとき3年間という限定期間だからこそ勉強や部活を努力し続けた人、

ある試験に合格するためにその期間はがむしゃらにがんばった人。

 

このような努力は限りなく自分の限界に近いのではないでしょうか?

 

たまにこの限界に近い状態を続けることができる方もいると思いますが、大抵の人はどこかで息切れしてギブアップしてしまうのではないでしょうか?

 

僕は正直、無理だと思います。

 

しかし、小さな努力なら続けられるかもしれません。

1ヶ月死ぬ気で何かに取り組める人よりも1年、5年、10年と小さな努力を重ねていくことができる人の方が少ないかもしれません。

 

僕はこれを努力と呼べるかはわかりませんが、昨年の11月から毎日日記を書くようにしています。

 

忘れてしまうことも、内容が薄いこともありますが、それでも1年、そしてそれ以上続けることは価値があるのではと思いました。

1日たりとも忘れずに毎日中身のある長文を1ヶ月書くことよりも難しく、意義のあることなのかもしれないと思いました。

 

 

今回、社員さんから「努力」についてお話を聞くことができて、改めて日記を1年間続けてよかったという気持ちと、これからも書くことやめること以外はハードルを上げずに続けていこうと決心しました。

 

日記をつけることで先週、たくさんの方々から聞いたお話を「刺激を受けた」というものだけで終わらせないことにも非常に価値があると思っています。

読み返せることの大きさを一年前の日記を読むことでひしひしと感じています。

 

 

今後は日記に加えて、読書を継続的にするという小さな努力を続けていきたいです。

 

11/6 記