平和について考える

こんにちは!


なおとです。


先日、今僕がいるエジプトでこのようなニュースがありました。


『エジプト 武装グループが検問所襲撃 兵士20人以上死亡』
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170708/k10011049631000.html


僕がいるカイロはエジプトの中でも安全な地域なので特に影響はありませんでした。


しかし、日本では考えられないことが自分がいる国で起こったんだと思うと何も思わずにはいられません。


このエジプトの襲撃だけでなく、これまでたくさん日本の平和について実感する場面がありました。


ミャンマーでは数年前の民主化に伴う民衆の暴動や過激なデモを映像見たり、聞いたりしました。
ブータンでも10年ほど前にチベット民族の侵略から守った城のようなものを見ました。
その他にも日本のように70年間も戦争も内戦もなかった国には行ってないと思います。


今の日本人は、日本の領土内で内戦が起きたり、外国からの侵略により日本人が死ぬことを想像できるでしょうか?
僕は想像できませんし、そんな事態は何としても避けなければならないと思います。


紛争や襲撃が行った国ではそれほど遠い話ではないというこを実感したからこそ、日本ではこれからどうなっていくのだろうと心配になりました。


日本もそろそろ平和ボケから脱さないといけないのではないかと思います。
本気で安全保障について考えなければいけないときが来たと思います。


北朝鮮のミサイルが日本に落とされ、日本人死者が出て初めて声をあげるのでは遅いです。
安全保障というと難しく感じるかもしれませんが、安全保障なくして今の生活を守ることはできません。


政治家に任せているだけでもいけません。
安全保障の問題はある政治家の判断が間違っただけで多数の死者が出たり、戦争になることもあり得るのです。
税金が無駄に使われた、責任は誰が取るということで終わらせることができないのです。


安保法制や憲法改正は平和と安全保障について考えるいい機会だと思います。
このタイミングで考えなければ、次考えるときは戦争になったときか死者が出たときです。


自分が死にたくない、家族や友達が死んで欲しくないと思うなら真剣に考えなければならない問題です。


日本の状況が変わっていなくても、世界の情勢は変わっています。


日本が手を出さなければ何も起こらないという確証はありません。
現在、日本のような平和で軍隊のない国、整備されていない国はアメリカなどの強い国があるから成り立っています。
軍事力がなくても国際社会で生き残れるというのは詭弁です。


この事実に本当の意味で気付き、受け止めなければなりません。


安全保障を考える上で諸外国のことを知ることは必須です。


日本が変わっていなくてもある国が変わったのなら日本の安全保障は考え直さなければなりません。


憲法九条、自衛隊防衛省非核三原則基地問題


これらは議論されることが避けられがちかもしれませんが、自分の命を守るために考えなければなりません。


安全保障を語らずして、平和を語ることはあってはならないと思います。


戦争をしたくない、ミサイルを打ち込まれたくない、紛争に巻き込まれたくないと思うのなら、安全保障と平和について考えることは重要で当たり前のことであると僕は考えます。

 

7/13 記