小さな心と大きな心
こんにちは!
なおとです。
先日、スリランカでもっとも有名な観光地だと思われる世界遺産“シギリアロック”に行ってきました。
名前を知らなくても、写真を見れば「あぁーなんか知ってるわ」となると思います。
そのシギリアロックを見た僕の感想は…
『でっかい岩だなぁ。どうやってこんな岩ができたんだろう。日本にはないなぁ。海外に来た実感がする。』
このような感想を持ちました。
正直に言うと、シギリアロックを見た瞬間、写真で見たそれと同じだなと思いました。
確かに圧倒されるような大きさ、自然に囲まれた中にそびえ立つ壮大さなどは外国ならではの風景かもしれません。
しかし、遙々異国から30ドルも払ってまで、全ての人におすすめするかというと、僕はしません。
昨年はカンボジアのアンコールワット、インドのタージマハルを見ました。
Googleの画像検索で見たそれの遙か上をいくことはありませんでした。
だいたい画像を見て予想していた通りでした。
僕は何かを見て感動しにくいのかもしれません。
「多くの人が興奮して大げさな表現をしているのか、それとも僕がただ冷めているだけなのか…」
シギリアロックを前にしてこのようなことを考えていました。
そして一つの考えが頭に浮かんできました。
別に日々生きていて全く心を揺さぶれるようなことがないわけではありません。
小さな感動はたくさんあります。
夕日が綺麗だなと思い、電車の窓からずっと眺めて幸せな気分になる。
吉野家の牛すき鍋膳が値段以上に美味しく感じられて幸せな気分になる。
友だちに内面や外見のことをお世辞にでも褒められると嬉しくなって幸せな気分なる。
決して目立ちはしないありふれた桜の木に心を揺さぶられ幸せな気分になる。
大きなことをすれば大きな感動を、
有名なところに行けば大きな感動を、
評判のいいものを食べれば大きな感動を、
と思いがちになってしまいがちですが、
自分の近くにあるありふれたものの中にたくさん感動が散りばめられているんだと思います。
他の人にとっては何とも思わない極々一般的で、何の取り柄もないものも見る人によってかけがえのないものや時間になるものです。
今後、世界一周をする上でたくさんの観光地や世界遺産を見ることなると思います。
もちろん、僕の心を揺さぶれるようなものに出会えれば幸せだなと思いますが、
それよりも、他人から見れば違いも分からないような小さなところに自分の感動や幸せを見つけていければいいなと思います。
6/25 記