死ぬことが怖い
こんにちは!
なおとです。
タイトルを見ると僕がとても病んでいるのではと思われるかもしれませんが、そういう意味ではありません。
みなさんは死ぬことが怖いですか?
僕は怖いです。
小学五年生の頃には、寝ようとベッドに入った途端、死について考えてしまい怖くなり寝れない日々がありました。
何が怖いのと聞かれると説明するのが難しいですが
『記憶がなくなること、僕の存在がこの世になくなること、まだやり残したことがたくさあること』
などが浮かんできます。
なぜ今回この話題について書こうと思ったかというと、ワークキャンプ先のリーダーとこの話をしたからです。
そのリーダーは死ぬことが怖くないそうです。
確かに年齢は50に近く、僕より様々な経験をたくさんしていますし、やり残したことが僕に比べれば少ないかもしれません。
それにしても死が怖くないというのは驚きです。
今すぐに死ぬとしても怖くないのかと聞くと、それも怖くないとのことです。
理由はその人の考え方にあります。
大きな理由は仏教を信仰していることにあると思います。
「仏教のことはこれまでにたくさん勉強して、神様も信じ続けてきた。そして人のために善い行いをして、悪いことはほとんどしていない。思いつくのはゴキブリを殺したことくらいだ。なので、もし僕が死んでも来世は必ず良い環境に生まれることができる。今ある記憶も忘れることはない。」
このように話してくれました。
僕はとても驚きました。
彼は決して口だけで言っているのではありません。
今日は少しの間、自由時間がありました。
彼に何をするのかと聞くと、池にいる鯉に餌をやると答えました。
この池がある都市に来る度にパンを買って鯉に餌をやっているそうです。
そしてその餌をやっているときに発展途上国でよく見かける物乞いをしている人が彼に話しかけました。
すると彼は何の躊躇もなく、幾ばくのお金を差し出しました。
さらに、その数分後彼の元にお腹が空いたと言ってきた男性がいました。
バスの時間も迫っており時間のない中、彼は走って弁当を買いに行きその男性に渡しました。
物乞いをしている人に対して、どういう対応すべきかという議論はここでは置いておき、僕は彼の行動に圧倒されました。
彼の行動は全く見返りを求めないものです。
これが彼の言う善い行いなのだと思いました。
彼はこのようにも言ってました。
「何かを貸したり、あげたりしたときに決して何かが返ってくることを期待してはいけない。」
彼の断固とした死ぬことへの怖れのなさは徹底した自分との向き合いがあるのだと思いました。
もちろん、彼は仏教を信仰していますので、神様を信じて向き合っています。
しかし、僕はその中には自分との向き合いもあり、それを続けてきたからこそ、今の彼の考え方があるのだなと思いました。
“死”という多くの人が怖れるものに対して、本当の意味で向き合えているからこそ怖さを感じないのかもしれません。
“死”を考えることは“今”を生きることであり、“自分”に向き合うことだなと思いました。
いつか尽き果てるこの命を大切にしたいと強く思います。
6/20 記