その経験に価値はあるか

こんにちは!


なおとです。


いきなりですが、みなさんは自分の経験を抽象化していますか?


もう少し簡単に言うと、「自分が体験したことや学んだことを言葉にして表現していますか?」


この経験を抽象化することの難しさや大切さを大学生になってから教わりました。


自分のした経験を人に伝えることができて初めて世間という枠組みの中で役に立ちます。


自分の経験が全て世間の役に立つ必要はないのではという考えもありますが、僕の基本的な考え方は自分の経験は世間の役に立つべきものだと思っています。 


そんな考えに基づいて今回のブログを書いていきます。

 


僕は昨年の11月頃からほぼ毎日日記を書いています。
ブログも最近始めました。
その他にも日々の経験や学び、自分が感じたことを文字に起こすことがよくあります。


そんな日々の中で常々思うことがあります。


「自分の経験したことを言語化すると全然頭の中で想像していたものと違うし、これじゃあ自分の伝えたいことが全く伝えられていない。」


文章を書くたびに感じます。
話すことが好きな僕は書くこともそれほど苦ではありません。


しかし、しんどいなと思うことや煩わしいなと感じることはよくあります。


文章を書くためには、その瞬間だけではなく、生活していく上で常に経験を言語化することを厭わずにやらなければなりません。


今何をして、何を感じて、どうしてそう思ったのかなど頭の中で整理し続けなければなりません。


何を考えず、夜になったからさぁ日記を書こうではただの一日の出来事を記したイベント日記に過ぎません。


僕はそんな日記を書いているつもりはなく(結果的にそうなってしまっている日もある)、今日あったことに対して自分の考えや想いを書く日記を作っています。


自分の考えや想いは言語化されて初めて意味を持ちます。
自分の頭の中では分かっているけれど表現できないというのは、本当は分かっていません。


言語があるから思考することができます。
つまり、言語化できないというのとは思考が不十分だということです。


僕が日記に自分の考えや想いを書いているのは自分の思考を深めるためのトレーニングです。
言語化することによって、自分が本当にどのくらい考えられているのか確かめることができます。


ブログでは、自分だけではなく他社に発信することによって新たな視点を与えてもらえるかもしれないと思って始めました。


日記やブログを振り返ってみると、本当に難しいなと思うことが多いです。


僕のゼミの先生から以下の言葉を教えていただきました。


「経験に対して言語は常に過剰であり、常に不足している。」 


ここに経験を言語化することの難しさがあると思います。


それと同時に言語の面白さも感じます。


ある2人が全く同じ経験をしても、それを表現すれば全然異なるものが得られるかもしれません。
それはその経験に対しての思考が異なるからです。


前述したように言語があってこそ思考ができるので、言語の使い方によって経験の抽象化のされ方が違うのです。


本当に言語は奥深いなと思います。

 


少し話を変えます。


世の中には言語化することによって、その経験が浅いものになってしまうこともあると思います。
時には言語化せずに単に感じることが尊いこともあると思います。


この“言語化せずに感じる”を必要とするときは家族や恋人、友達などの親しい間柄に発生する気遣いや思いやりといった愛があるときだと思います。


そこには言葉では表しきれない、目では見えない、耳では聞こえない大切なものがあります。


ただ僕の基本的な考え方は経験は抽象化され、世間に役に立ってこそ意味があると思っているので、常に言語化することを厭わずにやっていくつもりです。


その中で本当に大切なものに出会ったときに言葉ではないところで信じ合うことができればいいなと思います。


最後に…

最近書くことが増えた僕の書くことに関する感想です。

 

書くことで考えは深まっていく。
言語化をすることを辞めれば、思考も止まる。

 

6/11 記