ワークキャンプ(ミャンマー編)
こんにちは!
なおとです。
ミャンマーへは二週間ほど滞在していたのですが、そのうち10日程度は首都ヤンゴンから車で4時間ほど離れた小さな村でボランティアをしていました。
英語が通じる人はおらず、キャンプリーダーの通訳か雰囲気でしか会話ができない10日間でした。
ここから村のことについて少し書いていこうと思います。
まずは“住”です。
村の真ん中には、Monastery(修道院)があります。
そこには大仏のようなものがあり、そしてお坊さんが住んでいます。
他にも数人の子供たちが過ごしていました。
村の人たちが何かあると集まる場所になっているみたいでした。
僕がその村に着いてすぐに案内されたのもこのMonasteryでした。
さらに僕の寝床もこのMonasteryです。
個人的にはこれが一番辛かったです。
暑いのにも関わらず風通しが悪く、寝るときも汗が止まりませんでした。
コンクリートの上に藁を一枚引いて寝るというスタイルだったので、なかなか疲れも取れませんでした。
そして何より、ゴキブリなのか、アリなのかよく分からない虫たちが僕の体をよじ登ってきます。
寝るのがとても億劫な日々でした。
村の住民は高床式の家に住んでいる人が多く、壁は木や藁ということがほとんどでした。
床も所々穴が空いていて、よくその穴に唾を吐いていました。
高床式だと、やはり虫の数は相当減り過ごしやすかったです。
一日だけ村の住宅で寝させてもらったのですが、とても快適でした。
続いては“水”です。
水道は通っていなくて、基本は井戸水です。
シャワーや洗濯、洗顔、歯磨きも井戸水を使いました。
シャワーや洗濯はまだしも、歯磨きかど自分の口入れる水が濁っていて鉄のにおいがするのはやはり抵抗がありました。
かといって、しないわけにはいかないので渋々使っていました。
食事の飲み水として、その濁った水が出てきたときはさすがに飲めませんでした。
住民達はその水を普通に飲んでいますが、僕はずっと買ってもらったペットボトルの水を飲んでいました。
次は“食”です。
ミャンマーのローカルフードを毎日食べれたことは良かったです。
そして意外に美味しかったです。
おかずがそれぞれのお皿に分けられているのを好きなように取って、自分の皿に盛りつけられているご飯と混ぜて食べます。
おかずの種類としては、鶏肉や豚肉、ドライフィッシュ、ローカルな野菜、卵、スープなどが基本でした。
村の人たちはスプーンなどを使うことなく、右手だけで食べていました。
僕が食べるときは毎回、スプーンとフォークを用意してくれました。
都市部だと、スプーンとフォークを使うのが普通みたいです。
あとはマンゴーがほぼ毎食デザートとして出てきました。
買っているというよりはその辺の木から採れるマンゴーです。
日本では高くて普段あまり食べませんが、僕一人で10日間に20個近く食べたと思います。
とても甘くて、僕は宮崎マンゴーを食べたことないのですが、おそらくそれに匹敵するのではと勝手に思っています。
最後は“人”です。
おもてなしを本当にたくさん受けました。
例えば…
ご飯の間ずっとうちわで僕を仰いでくれる。
洗濯物を洗うのを手伝ってくれる。
たくさんの家庭に招かれご飯をご馳走になる。
アメや果物など一人食べる量じゃないくらい渡してくれる。
少し離れたところに行くときは大抵、バイクの後ろに乗せてくれる。
地面が滑って危ないときは必ず誰かが僕のそばで僕を支えながら一緒に歩いてくれる。
こういったことがたくさんあり、たまに罪悪感をもつほどに、最大のおもてなしを受けました。
おもてなし=日本というイメージが僕の中で強かったのですが、僕はこの村での方がおもてなしを受けたなと感じました。
おそらく、どの国に行っても小さな村や集落ではこういったおもてなしの心はあるのだと思います。
東京のように都市になるにつれ、個人で生きることが強くなり、おもてなしの心は徐々に薄れていくのだと思います。
東京で僕がこの村で受けたおもてなしは経験できないと思います。
そんな東京がある日本がおもてなしの国だといわれる理由は“ビジネスおもてなし”が優れているからだと思います。
つまり単なるお客様社会です。
確かにお客様に対してのおもてなしのレベルは諸外国よりも高いと思います。
しかし、それは心のこもっていないおもてなしです。
お客様のためのビジネスおもてなしを日本が世界に誇るおもてなしだと少し勘違いしてたのかなと思いました。
本当に誇れるおもてなし精神を築いていければいいなと思いました。
少し村の人とは話が逸れましたが、村の人たちと関わって思ったことです。
最後にボランティアについて少しだけ書きます。
ボランティアですが、雨の影響やキャンプリーダーが積極的ではなかったことにより正直あまりできていないのです。
ボランティアがどうだったかといわれると特に感想はありません。
僕はこの後も3回ボランティアに参加するつもりですが、すべて1ヶ月もないくらいの期間です。
正直な思いとしては、ボランティアをして自分の持っている何かを使って現地に貢献しようとは思っていません。
そういう思いが強いなら、長期間で同じところにいると思います。
僕がそうしないのは、僕は学びたいという気持ちの方が大きいからです。
現在の僕は短期間で人に何かを与えられるほど能力はありません。
また僕が経済学や環境などの専門分野に詳しいわけでも、日本語以外の言語が話せるわけでもありません。
そんな僕が短期間だけ農業や教育を手伝ってもその他大勢の人たちとたいして変わりません。
世の中にあるほとんどボランティアは専門性が必要ではなく、誰がやっても大きな変化はないと僕は思っています。
ですから、僕はボランティアで何かを与えようとは思っていません。
現地の人と同じように暮らして同じ目線に立って同じことをしたとき何を得られるのかなと思ってボランティアに取り組んでいます。
そしてその中で僕と関わっていく上で現地の人たちや一緒にボランティアをするメンバーが僕から何かを学んでくれたとしたらそれが一番最高の形だなと思います。
現時点での僕のボランティアにたいする考え方を書いて終わりにしようと思います。
ボランティアでは世界を変えられない。
ボランティア自体にそれほど大きな意味はない。
ただその後に繋がるきっかけとしては大きな意味を持つと思う。
6/4 記