ワークキャンプ(コスタリカ編)

こんにちは!

 

なおとです。

 

昨日、コスタリカでのワークキャンプが終わりました。

 

世界一周最後の、そして4度目のワークキャンプでしたが、これまでで一番短く感じました。

 

それは単純に楽しかったからかなと思います。

 

 

ワークキャンプが始まって早々にラテンアメリカとの文化の違いに驚き、苦しみました。

 

その後もスペイン語に囲まれたり、お酒やダンスに誘われたりとすることがありましたが、自分のなかではうまく立ち回れたかなと思っています。

 

一つの要因としては、僕が元々持つバカさ加減を存分に発揮したことです。

 

僕のことをよく知っている方ならご存知のように訳の分からない言動をよくしています。

 

小学生に混じってもおかしくないアホなことしたりすることが多々あります。

 

ラテンアメリカの文化が僕にとって無茶苦茶なら、僕もいつも以上に無茶苦茶になろう』と思い結構はしゃいでいました。

 

結果的にみんなから“You are so crazy”と言われてしまうのですが…

 

コスタリカスタイルの適当さに僕の適当さを合わせていきました。

 

分からないスペイン語に対して適当に返事をして、知っているスペイン語を適当に使って、突然叫んだり踊り出したり、変な日本語を教えたり…

ふざけましたね。

 

環境に自分を合わせていくより、新しい環境の中に自分の心地よい場所を探す方が楽しいのだと気付きました。

 

そして、ど真面目な話し合いも好きな一方で、小1みたいなノリも好きな僕は対応しやすいのではと感じました。

 

あとは断り方ですね。

これはまだまだ勉強中ですが、機嫌よく断るっていうのは一つ大事なことではないのかなと思いました。

 

これまでの世界一周の中で最もクレイジーだったコスタリカ人との付き合い方はこの二週間でうまくなったような気がします。

 

 

さて、肝心のワークの方ですがここでもコスタリカスタイルです。

 

ほとんど仕事していません。

特に二週目は…

 

ただ毎日毎日違うことをさせてもらうことができました。

 

掃除、コーヒー豆の収穫、ゴミの仕分け、落ち葉掃き、農園散策、オレンジを取って食べる、鳥探し…

 

ワークなのか遊びなのかはともかく、日本では経験しないようなことをたくさんしました。

 

たった二週間のなかでコツコツ何かをするより、毎日毎日違うことを経験できたことは良かったです。

 

挙げればキリはありませんが、一つ一つの経験の中に新たな発見、それぞれの意味がありました。

 

目新しさが常にあったからこそ、短く感じたのかもしれません。

 

 

またコスタリカについて、そしてこれまで4回ワークキャンプのまとめについては今後のブログで公開したいと思います。

 

12/24 記

軍隊がない国同士で語ってみた

こんにちは!

 

なおとです。

 

昨夜、ワークキャンプのリーダーであるコスタリカ人の友人と“軍隊”について語りました。

 

日本とコスタリカともに軍隊を持たないと宣言している国同士です。

 

初めに僕がコスタリカに興味を持った理由は軍隊がない国だからです。

 

日本には自衛隊というグレーなものが存在します。

コスタリカも警察が軍隊に近いような活動をすることもあり、正直グレーな状態だと僕は思います。

 

それでも日本の自衛隊に比べれば圧倒的に力は弱いです。

 

隣国が攻めてきた場合、自国のみで対抗できる力は微々たるものです。

 

もし他国が攻めてきた場合、米国が助けてくれることになっています。

(日本と同じですね)

 

僕の疑問はここです。

 

なぜアメリカが助けてくれると信じれるのか。

助けてもらうという約束をするために、アメリカの言いなりにならざるをえない。

 

これはコスタリカも日本も同じではないでしょうか?

 

僕が日本はアメリカの犬のようになっていると言うと、近くにいたメキシコ人のこのように言われました。

 

「ロシアと北朝鮮などの数ヶ国以外は全てアメリカの犬だよ」

 

(なるほど、どこの国だってアメリカの機嫌を伺っているのは同じだ)

 

ただ要求のされ方が違います。

 

アメリカが価値があると思う国ほど、アメリカの要求は強くなります。

 

アメリカの言うこと聞かない国は、アジアと中東にあります。

 

だから日本はコスタリカ以上に要求されることが強いのかと改めて思いました。

 

友人は軍隊は必要ないし、今後も必要だとは思わないと話していました。

 

日本はどうでしょうか?

 

分かりません。

 

ただコスタリカの例はものすごく興味深いです。

一方で、大きく環境が違うのでそのままそっく当てはめることはできません。

 

しかし、必要がないと言い切れるあたりは単純にすごいなと思いました。

 

国際的にアメリカの力が弱まる中で、このままアメリカ頼みでいくのか、それとも自国でも何かの対策をするのか、今日本は揺れていますがコスタリカは前者で進んでいくのでしょう。

 

どちらがいいのか、将来答えがはっきりするでしょう。

 

コスタリカは民主主義、自然、教育なども非常に面白い考え方、仕組みを持っています。

 

日本ではいつもヨーロッパをマネしようみたいな風潮があるように僕は感じていますが、コスタリカという国を見逃さないで欲しいなと思います。

 

軍隊がない理想国家コスタリカは今後も平和な国であり続けられるのでしょうか?

 

色々裏事情もあるコスタリカの『軍隊がない』てすが、平和のための第一歩であることは確かなのではないでしょうか?

 

 

 

もう少し英語ができれば深い議論ができたのですが…

 

12/19

僕のこれまでにも意味がある

こんにちは!


なおとです。


以前僕はこのブログで、経験をいかに抽象化するかということについて書いたことがあります。

http://natoto17.hatenadiary.com/entry/2017/06/12/140819

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
この言葉は今も僕の中にあり続けていますが、では経験に意味はあるのでしょうか?

 

 

世界一周を始める前に、ゼミの先生からこんなことを言われました。

 

「学生時代、色んな国に行ってたくさんのものを見て触れたけれど、大した意味はなかった。それよりもコツコツと重ねてきた読書の方がはるかに大きな意味があった。海外に行くためには何十万、何百万というお金がかかるにもかかわらず、数百円程度で手に入る本の方が価値があった。」

 

まさしく、先生の言葉は経験からではなく、歴史から多くのことを学んでいるが故のものだと思います。


僕はある面では正しく、一方では間違っているのではないかと思っていました。

 

 

例えば…
アメリカは貧富の差が激しかった。
ドイツは有給休暇取得率が高い。
エジプトのスフィンクスは意外と小さい。
ケニアの首都ではビルが建ち並んでいる。


このような情報に対して、その国に行ったから"こそ"分かったというのはバカなんじゃないかと思います。


この時代に生きていれば、このような情報は簡単に手に入ります。


僕自身エジプトに行ったからこそ、スフィンクスの小ささを実感しました。


しかし、行かなければ分からなかったことではありません。


僕が気になって調べさえすれば、わざわざ暑い中、足を運ばなくても知ることができました。

 

 

また、その国で出会った数人と話したことをその国の総意のように捉えることもバカです。


サンフランシスコでトランプについて質問しても大抵は否定的な意見です。


国土が広く、人種も様々であるアメリカという国で大枠の意見をまとめるのは旅行者ができる代物ではありません。


そんなときは自分の脚で得たものより、それについて書かれた本や新聞などを洗いざらい読んだ方が圧倒的に正確で安く済みます。

 

 

ここまでの僕の理論上では、数ヶ月をかけて世界を廻っていることには意味がありません。


なぜなら自分の脚で世界を廻らなくても、世界のことは知ることができるからです。


むしろ実際に聞いた話より、本や新聞を使えばより広く深く知りえることが可能です。

 

 

では経験は何のためにするのかを考えました。


僕の答えは感じるためです。

 

本や新聞などでは知識を得ることはできますが、肌で感じることができません。
これは意外と大きな差です。

 

人は知識を得たときではなく、何かを感じたときに考えや行動が変わりやすいのではないでしょうか?


幸せになる方法を本で読んだ時ではなく、劣悪な環境にあっても幸せそうに生きている人たちを見て、幸せはこのような環境にもあるんだと感じたときに自分の中での幸せの定義が変化します。


シリコンバレーで活躍するための本を読んだ時ではなく、実際にシリコンバレーへ足を運んで先進技術を目の当たりにしたとき、さらに活躍する人の話を聞いたときに、レベルの違いやどんでもない情熱を感じ取って今後の行動が変化します。

 

経験から学ぶのではなく、経験から感じるのです。


僕は何かを経験したときに、目に見える成果が必要だと思っていました。


しかし、経験から感じるということに重きを置けば、目に見える成果が必ずしも必要ではありません。


むしろその場にいたこと、空気感を味わえたことの方が大切で、その“感じ”をいかに今後の言動へ繋げていくかが大切なのではないでしょうか?


目に見える成果は歴史から学べばいいのではないでしょうか?

 

『賢者は歴史から学び、経験から感じる。』
『愚者は歴史を顧みず、経験から学ぶ。』

 

12/8 記

自己分析というしがらみ

こんにちは!


なおとです。


みなさん、自己分析というものをしたことがありますか?


僕は就活という言葉にくっ付いてよく耳にすることがあります。


就活をするにあたって、自分もしないといけないんだろうなって思っていました。


また、自分ってどんな人間なのだろうか結果を見たら面白いかもとも思っていました。


一方で自己分析というものに何か腑に落ちないものを感じていました。


その何かが分からぬまま、時が過ぎていましたが、先日ある方のお話を聞いて僕が“自己分析”の中に感じていた違和感が何か分かったような気がします。

 


それは『自己分析しました、でその後は?』です。

 


わざわざ就活のために自己分析をする必要があるのでしょうか?


僕はどこかで自己分析が自分の可能性を狭めているものだと感じていました。


僕は自己分析をした結果、「このような長所があり、この分野に向いていて、好きなものはこれだ。」


みなさんは分かりませんが、僕は一度結果が出てしまうと考えが凝り固まってしまいます。


自己分析の結果、短所であったところ、向いてなさそうな分野、嫌いなことにおそらく手を出そうとはしません。


世界一周をする前にある方に決めつけをしないようにと忠告されました。


ある分析の結果が出てしまった以上、それを自分の中で覆すのは非常に難しいことではないでしょうか?


自己分析を就活のためにやるくらいなら、毎日自分と向き合うことの方が圧倒的に大切なことではないでしょうか?


所詮、自己分析というのはその時の自分に向き合ったものでしかありません。


数ヶ月、数年を常に自分と向き合っていることに比べれば短絡的な結果になるのではないでしょうか?

 


「相手を知る前に己を知れ」というのは決して一時的な自己分析を指しているわけではないはずです。


じっくりと経験や知識を得て、考え抜いた結果の己なのではないでしょうか?


自分はこんな人間だと決めつけてしまえば、その後は間違いなく楽です。


当てはまらないものは何も考えることなく排除してしまえばいいのですから。

 

 


「てか、誰だよ、自己分析が大切とか始めに言った人!」


大切な理由を詳しくお聞かせ願いたいです。


就活をしたことがない僕の意見なので、是非経験された方々のご意見もお聞きしたいです。


とりあえず、今後も僕は多くの知識を得て、貴重な経験をした上で、日々自分と向き合っていくことを忘れずにしていきたいと思っています。


12/7 記

何を信じればいいんだ?(僕の好きなこととあなたの好きなこと)

こんにちは!

 

なおとです。

 

コスタリカワークキャンプが始まりました。

 

日本人にとってはあまり身近な国ではないと思いますが、コスタリカは中米にあります。

 

パナマの北にあります。

 

人生初のラテンアメリカです。

 

昨晩、ワークキャンプのメンバーとホストファミリーがBARに行こうと誘ってきたので一緒に行ってきました。

 

元々、お酒もBARも好きではない僕ですがせっかくの機会なのでついて行きました。

 

最近はお酒を飲むとアレルギーの関係で痒くなってくるのでビール一杯だけにしています。

 

昨晩もそのつもりでした。

 

BARに着くと、みんなと同じように飲み始めました。

 

しかしながら、僕以外の全員がスペイン語を母国語としている人たちなので、会話が一切分かりません。

 

さらに音楽に合わせて自然とダンスをする人たちです。

 

日本人の僕からすると、ビールも好きじゃないし、一杯だけ、スペイン語は理解できないし、ダンスもできないです。

 

陽気になっていくメンバーたちは、ダンスやお酒を勧めてきますが、苦手なもの苦手なんです。

 

僕も初めから拒絶してたわけではありません。

 

ダンスもそれっぽく踊ってみても何が楽しいのか全く分かりません。

 

その後、僕にとっては苦痛な時間が過ぎていき、9時頃に入った店は12時になり閉店。

 

帰るのかなと思うと、それから別の店へ行き、飲み直し。

 

その店を2時半頃に出た後も公園で、また飲み直し。

 

その間にあと10分で帰るよって宣言していたり、僕自身も疲れたと言っていたのですが、終わる気配は全くありません。

 

今さらお酒を片手にスペイン語でダンスをして談笑する輪に入って楽しめる勇気もなければ、楽しめるとも思わなかったので、1人で端っこの方にいました。

 

すると、メンバーの友達が僕の方に寄ってきて話しかけてきました。

 

一緒に話そうじゃないかと…

 

僕はそこで溜まっていた思いの丈を伝えました。

 

僕はお酒もダンスも好きじゃないし、あのように陽気にワーワーすることが得意ではないと。

 

そして、なぜあと10分と言ったのにその約束を守らなかったり、自分が楽しむことだけを考えるんだと。

 

すると、このような答えが返ってきました。

 

これがラテンアメリカのカルチャーだ。

 

はい、そうですね。

そう言われると納得するしかありません。

 

確かに僕自身が楽しめないのも日本のカルチャーがあるからだと思います。

 

でも約束を守らないことや、人のことを考えないことがカルチャーなのか?

 

そしてその人は続けてこのように言いました。

 

今日は初めてだから、カルチャーインパクトが起きてしまった。

コミュニケーションを取っていけば、次回は必ず良くなるよ。

 

僕はこの言葉を信じれませんでした。

 

なぜなら約束を平気で守らないことがカルチャーと言われたからです。

 

じゃあ何を信じればいいのでしょうか?

 

僕自身も、もっと彼らのカルチャーを理解して歩み寄らないといけないことは分かっていますが、僕の信念としてそもそも約束を守ろうとする姿勢のない人を信じることはできません。

 

結果的に守れないことは仕方がありませんが、そもそも守ろうという意思がない人をどのように信頼すればいいのでしょうか?

 

そして、元々お酒、BAR、クラブが全く好きではない僕はどこまで彼らと一緒に楽しめるのでしょうか?

 

今晩もBARに行く予定らしいです。

 

僕は行くべきでしょうか?

それとも好きじゃないと断るべきでしょうか?

 

まさかここでこのようなカルチャーインパクトを感じるとは思わなかったです。

 

楽しさ、喜び、幸せの概念が違う人と仲良くなる方法を教えて欲しいです。

 

まだワークキャンプが始まって3日目。

うーん、先が思いやられる。とほほ…

 

12/10 記

大変お世話になりました

こんにちは!


なおとです。


僕がインターンをさせていただいたkintone corporationについて感じたことを書かせていただきたいと思います。

 

kintone corporationはサイボウズ株式会社のkintoneという製品をアメリカにも広げようとして、立ち上げられたUSの現地法人です。


日本のサイボウズのことも含めて、実際にその中に入ることで新たに知ったことも多くあります。

 


まず感激したことが、kintoneという製品の素晴らしさです。


ITに疎い僕でも簡単に使えるのにもかかわらず、専門知識のある人に頼らなくても自分の希望に合わせてカスタマイズできるのです。


業務中にこうしたいと思ったことが、一時間後には実現しているのです。


まだまだkintoneについてはほんの一部しか理解していませんが、kintoneかあるかないかで仕事のしやすさが大きく違うのは確かだと思います。


将来、働く環境にkintoneがなかった場合のことを考えると憂鬱です。


kintoneは使えば分かるので多くの人に試しでも使ってもらいたいです。

 


サイボウズの考え方や制度は日本で度々注目されますが、アメリカではどのように受け取れているのか気になっていました。


想像以上にアメリカでも受けていたのではないかと思います。


例えば雇用制度についてです。


日本の終身雇用制度とアメリカの今日辞めされられるかもしれない制度ですが、どちらがいいかという話ではなく、その間もあるのではないかということです。


終身雇用もそれはそれで問題かもしれませんが、急に明日辞めろと言われるのも問題です。


そのどちらでもない、ちょうどいい制度があるはずです。


サイボウズでは、そこを目指しているそうです。


雇用制度だけではなく、様々な考え方や制度の中に、ゼロイチではなく、その中間を取ろうとする意図が感じられました。

 


最も感激したことはサイボウズの掲げる理念です。


「チームワーク溢れる社会を創る」


kintoneでインターンをさせていただく前からこの理念は知っていましたが、その本当の意味と覚悟を知って感動して、恐怖すら感じました。


お金を稼ぐこと、有名になること、名声を得ることよりも、みんなの幸せを実現を目指すことがどれほど困難であり、途方もないことなのか僕の想像を遥かに超えていました。


理念を達成するためには、もちろんお金や影響力も必要です。


しかしながら、それか目的ではないのでやることが一貫しています。


決してブレることのないここまで正直な企業は多くないと思います。


サイボウズは日本で国内シェアNo.1に、アメリカでは日本IT企業として徐々に広がりを見せていますが、サイボウズが見ている先はまだまだ遠くにあるのだなと感じました。


僕は将来何をしたいのかまだまだ決まっていません。


しかし、このインターンの経験を通してサイボウズで仕事に関わる、関わらないという次元の話ではなく、チームワーク溢れる社会を創ることに貢献したいなと思いました。

 


最近は、働くということに対して、自己実現が強調されることが多いです。


僕たちの世代はそのように教育を受けたり、考えている人も多いと思います。


もちろん、自己実現も大切なのですか、その手前を疎かにしているからいつまで経っても自己実現に到達しないのではないかと今では思っています。


自分自信や他者から承認されること、期待されることなしに自己実現か達成されることはありません。


シンプルですが、非常に大切な考え方を学ぶことができました。

 


たったの2ヶ月しかインターンをしていない僕が言うのは生意気かもしれませんが、サイボウズという会社ではなく、その中身である考え方や理想を見て欲しいと思います。


きっと大切な何かに気付けるのではないでしょうか?


会社という箱ではなく、中に入っているものが重要なのです。


本当に貴重なサンフランシスコでのインターン生活でした。


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11/30 記

ハプニング5

こんにちは!

 

なおとです。

 

実は、先日Airbnbを利用して泊まっていたところを追い出されました。

 

 

事件の発端は11月に入った頃でした。

 

ある夜、家でゆっくりと過ごしていると、ホストが僕の元へやってきました。

「11月分の宿泊代を払え。」

僕は既にAirbnbを介して11/1にクレジットカードで11月分の宿泊代を払っています。

その旨をホストに説明すると、

「俺は受け取ってないから直接払え。」

いやいや、無茶苦茶でしょ。

Airbnbに僕は払ったんだから、あなたはAirbnbからお金を受け取ってくれと言うと、

「お前がAirbnbに返金要求しろ、そして俺に払え。」

その後ホストは何をするでもなく、支払えとしか言いません。

埒が明かないので僕はAirbnbに電話して返金するように頼もうとすると、なぜかホストは待つように言ってきました。

 

数日何も言われず待っていると、突然、

「返金はどうした?俺に早く支払え」

なんということでしょう!

その日のうちに僕はAirbnbに返金要求のメールをしました。

翌日、ホストに呼び止められ、

「今日中に支払え、払えないなら出て行け!」

僕はそんな要求にこう答えました。

Airbnbの返金が確認できたのちにあなたに支払う。」

しかしホストは今日中しか認めないとのことでした。

とりあえずインターンがあったのでまた夜に話すことにして、家を出ました。

 

オフィスに着いて、Airbnbカスタマーサービスに電話すると、ホストのアカウントが10/31付で凍結されていることが分かりました。

既にAirbnbのホストではなくなってたのです。

そして社員さんとも相談をして、このホストの元に泊まるべきではないと判断しました。

何かしらの理由がありAirbnbにホストとして認められなくなったこと、これまでの僕に対する態度、そして今後そこに泊まるということは実質そんなホストと個人契約になります。

 

インターン後、家に帰り、あなたがAirbnbのホストでないことが分かった以上ここには泊まれないと話すと、$300を支払えと要求してきました。

11月9日まで、確かにAirbnbのホストではないにしろ、それを知らずに泊まっていたのでその分を払えというのはまだ理解できますが、9日分を計算すると約$200です。

無茶苦茶な。

向こうの言い分として、

「お前がキャンセルしたいんだろ?割高になって当たり前だ。」

「いやいや、別にキャンセルしたいわけじゃない。問題がある人の元には泊まれないし、それを伝えなかったから仕方がなくここを出て行くんだ。」

そんなことを言ってもホストはそれを飲み込むわけはなく、ついには8月に支払済みの10月の宿泊代も受け取っていないと言い出しました。

言い合っているうちに2時間以上が過ぎていました。

もうダメだと思い、$250を支払うから出て行くと承諾されました。

その後の「Thank you very much! Good luck!」と笑顔で言ってきた顔が無性に腹が立ちました。

『なーにがセンキューじゃい!ふざけんなよ。この詐欺師が!』

僕のこのときの心境です。

そして大きな荷物を抱えて家を出て行きました。

 

ここからはkintoneの社員の方々に大変お世話になりました。

その日は既に21時を過ぎていたのですが、昼間にもし出て行くことになったらうちに泊まっていいよと言ってくださった社員さんのお家に泊めていただきました。

次の宿を探していかないといけないのですが、現在日本へ出張に行っている方に帰ってきたらお家に泊めてもらえないかとお願いすると、明日から泊まっていいよと言っていただき数日前からお世話になっています。

日本で一人暮らしをしているときよりも快適な環境に住まわせていただいています。

 

今回のハプニングは予想もしなかったことが起きましたが、たくさんの方々の支えのおかげで本当に助けられました。

 

振り返ってみると、これまでにも大小問わずハプニングがありましたが、その大抵は誰かに助けられています。

自分の力だけで乗り切ったことはほんのわずかです。

 

自分は誰かを助けられているのでしょうか?

少なくとも困っている人がいれば助けよう、助けたいと思う気持ちだけは忘れずに過ごしていきたいです。

 

たくさんの方々、いつも本当にありがとうございます。

 

11/16 記