なおと世界見聞録(エジプト編)
こんにちは!
なおとです。
当初、行けたら行こうくらいの気持ちであったエジプトには結果的に10日ほど滞在することになりました。
人生初のアフリカに期待を抱きながらも不安が大きかったエジプト行きの飛行機が嘘のように楽しく過ごすことができました。
エジプト下痢になった以外には特に危険なこともありませんでした。
快適な10日間でした。
日本人宿に泊まったという安心感もたったと思います。
それでも世界三大うざい国といわれるエジプトですが、一部を除いて全くそのようなことは感じませんでした。
他の国同様ぼったくってきたり、しつこく話しかけられることもありましたが、観光地周辺だけといった印象です。
街を歩いていて押し売りや声をかけられることはほとんどありませんでした。
そんな僕のイメージとは違ったエジプトですが、やはり一番感動したのは砂漠です。
前にアンコールワットやシギリアロックなどの遺跡を見てもあまり心が揺さぶられないというブログを書きましたが、砂漠は違いました。
砂漠の最大の魅力はやはり規格外の規模です。
360°見渡す限り地平線が広がり、さらに決してずっと同じ景色というわけではなく、少し進むだけで色が変わったり、山が出てきたりと砂漠であるはずなのに飽きさせません。
“壮大、広大”という言葉で言い尽くせないものを砂漠は持っていて、自分の悩みや存在がとても小さいようなものに感じられます。
日本からはなかなか簡単には行けないエジプトかもしれませんが、この砂漠ツアーを体験することを強くオススメします。
景色を見て価値観が変わるということがあるのなら、この砂漠がその景色になるのではないかと思います。
エジプトは誰もが知っているように歴史のある国です。
ピラミッドが建てられたのは約4500年前と言われています。
僕はカイロという一つの都市にしか滞在していなかったのですが、歴史を感じるようで感じませんでした。
勉強不足と言われれば、そうなのかもしれませんが、やはり国の発展とともに失われていくものも大きいのだと思います。
国の発展と伝統の継承は難しく、残すべきところはしっかりお金をかけて守り、諦めるところは潔く切ることで今ある大切な伝統を残していかなければ、伝統を無視した発展もしくは発展のことは二の次で伝統を残すといった極端な形にしかなれないのだと考えました。
最後に、エジプトでの横断はインド同様命懸けでした。
歩行者信号はあってないようなものですし、大通りに横断歩道がほとんどありません。
つまり、片側4車線ほどある大きな道路であっても無理やり横断するしかないのです。
運転手の発見が遅れれば、僕たち歩行者は轢かれてしまいます。
運転手は歩行者を見つける度にとまらなければなりません。
そしてたいていの運転手は自分の好きなところに好きなタイミングで止まります。
そのような状況なので交通渋滞もすごく、至るところからクラクションが鳴り響いています。
自分本位な運転や横断がとんでもない交通渋滞を生み、巻き込まれたときは激怒しているにも関わらず、そのスタイルを変えないのは甚だ疑問でした。
日本では人に迷惑がかかるからという理由で絶対しないような運転、横断が当たり前のようにされています。
僕は日本人の他人に迷惑をかけないように一つ一つの行動に気を配る優しさに改めて素晴らしいと思いました。
これは受け継いでいくべき伝統ですね。
7/14 記
平和について考える
こんにちは!
なおとです。
先日、今僕がいるエジプトでこのようなニュースがありました。
『エジプト 武装グループが検問所襲撃 兵士20人以上死亡』
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170708/k10011049631000.html
僕がいるカイロはエジプトの中でも安全な地域なので特に影響はありませんでした。
しかし、日本では考えられないことが自分がいる国で起こったんだと思うと何も思わずにはいられません。
このエジプトの襲撃だけでなく、これまでたくさん日本の平和について実感する場面がありました。
ミャンマーでは数年前の民主化に伴う民衆の暴動や過激なデモを映像見たり、聞いたりしました。
ブータンでも10年ほど前にチベット民族の侵略から守った城のようなものを見ました。
その他にも日本のように70年間も戦争も内戦もなかった国には行ってないと思います。
今の日本人は、日本の領土内で内戦が起きたり、外国からの侵略により日本人が死ぬことを想像できるでしょうか?
僕は想像できませんし、そんな事態は何としても避けなければならないと思います。
紛争や襲撃が行った国ではそれほど遠い話ではないというこを実感したからこそ、日本ではこれからどうなっていくのだろうと心配になりました。
日本もそろそろ平和ボケから脱さないといけないのではないかと思います。
本気で安全保障について考えなければいけないときが来たと思います。
北朝鮮のミサイルが日本に落とされ、日本人死者が出て初めて声をあげるのでは遅いです。
安全保障というと難しく感じるかもしれませんが、安全保障なくして今の生活を守ることはできません。
政治家に任せているだけでもいけません。
安全保障の問題はある政治家の判断が間違っただけで多数の死者が出たり、戦争になることもあり得るのです。
税金が無駄に使われた、責任は誰が取るということで終わらせることができないのです。
安保法制や憲法改正は平和と安全保障について考えるいい機会だと思います。
このタイミングで考えなければ、次考えるときは戦争になったときか死者が出たときです。
自分が死にたくない、家族や友達が死んで欲しくないと思うなら真剣に考えなければならない問題です。
日本の状況が変わっていなくても、世界の情勢は変わっています。
日本が手を出さなければ何も起こらないという確証はありません。
現在、日本のような平和で軍隊のない国、整備されていない国はアメリカなどの強い国があるから成り立っています。
軍事力がなくても国際社会で生き残れるというのは詭弁です。
この事実に本当の意味で気付き、受け止めなければなりません。
安全保障を考える上で諸外国のことを知ることは必須です。
日本が変わっていなくてもある国が変わったのなら日本の安全保障は考え直さなければなりません。
これらは議論されることが避けられがちかもしれませんが、自分の命を守るために考えなければなりません。
安全保障を語らずして、平和を語ることはあってはならないと思います。
戦争をしたくない、ミサイルを打ち込まれたくない、紛争に巻き込まれたくないと思うのなら、安全保障と平和について考えることは重要で当たり前のことであると僕は考えます。
7/13 記
なおと世界見聞録(ブータン編)
こんちには!
なおとです。
突然ですが、2015年にブータンに訪れた日本人は2437人です。
2015年の東京大学入学者数は3140人です。
つまり東大生に出会うよりもブータンに行ったことがある日本人に出会う方が難しいのです。
僕はそんな希少価値を持つようになりました。
今回のブータン訪問は五泊六日という短い期間でしたが、記憶に残る旅になりました。
ブータンに来たからこそは“幸せ”について考えなければならない、そう思って過ごしていました。
ブータンに行って思ったことは、ブータンには何もないということです。
滞在中は基本的に観光をしていたのですが、これまでに行った国にように圧倒すれるような遺跡や誰もが知っているような有名な観光地はないのです。
しかし、ブータンには常に見るものがありました。
パロ空港に着いて飛行機から降りた瞬間その光景に圧倒されました。
空港の建物はブータンの伝統を受け継いだ作りになっていて異国感が漂います。
空港では入国審査の方やその他職員の方が着物のような伝統衣装である「ゴ・キラ」を着ています。
そして何より山間の谷間にある空港を囲む山々がとても美しかったです。
そんな光景に見とれながら空港を出て首都ティンプーに向かいました。
このティンプーへ続く一本道は山と併走するように引かれていて、横には川が流れていました。
このとき僕は思いました。
ブータンの良さはここだと…
ひときわ目立つ何かがあるわけではなく、常に心を穏やかに楽しませてくれるものがありました。
国民の多くは伝統衣装を身にまとい、街並みも海外文化に浸食されることなく、ヒマラヤに囲まれる自然は人工的なものがほとんど入っていません。
さらに人口が少なく、慌ただしさも感じません。
周りを囲む高い山々とヒマラヤ山脈からの雪解け水が流れる川が相まって完成する大自然の中に静寂と美、壮大さの融合がありました。
海外の文化ではなく、ブータンの伝統が色濃く残りそれを国民が大切にしている印象を受けました。
数日間、ブータンを旅しながら考えたブータンの幸せとは、小さな幸せの積み重ねが大きな幸せをうむということです。
贅沢なことを好んだり、自分が上へ上へという気持ちを持つ人にあまり出会いませんでした。
それよりも今を楽しもうであるとか、みんなで幸せを分け合おうよといった場面をよく見かけました。
GDPも低く、人口も少なく、外国へ行く人も少ないブータンでは昔の日本を彷彿させるものがあるのかもしれません。
近所付き合いが強く、第一次産業に従事している人が多いです。
また、友達の友達は友達というように、互いに助け合うからこそ生きていけるそんな雰囲気もありました。
派手な幸せではなく、一人一人が小さな幸せを毎日噛み締めながら生きているから幸せだと言う人が多いのだと思います。
しかし、最近ブータンでは若者を中心に幸せではないと感じる人が増えているらしいです。
そのせいで国民総幸福量も下がっています。
若者が幸せではないと考える大きな要因は失業率にあります。
そして若者の失業率が高い理由は大学を卒業したのに第一次産業に従事することを嫌がるからです。
オフィスワークをしたがる若者で溢れるブータンは失業者が増えています。
そのせいで、薬物に手を出したり、飲んだくれる若者が増えているそうです。
実際僕も1日だけブータンのクラブに連れて行ってもらったのですが、クラブにはブータンらしさは全くなく20代以下しかいませんでした。
来ている人たちの顔を見ると一見楽しそうにはしていますが、どこか不自然でぽっかりあいた穴を埋めているようにも見えました。
きっと昼間に埋めきれなかった何かを夜に発散しようとしているのだと感じました。
ブータンを案内してくれたガイドさんによると、若者は欲求が強いと言っていました。
『あれが欲しい、お金持ちになりたい。綺麗になりたい。海外に行きたい。遊びたい。』
望めば望むほどそれを達成でなかったときは辛くなります。
伝統色が色濃く残るブータンでも最近では少しずつ外国文化も入ってきているので、海外への憧れも強くなります。
若者を中心に幸せではないと感じる理由はここにあります。
流行に敏感で、外国のこともよく知る若者はあらゆる欲が増え、望むものを多くなります。
その結果、多くのことを期待するがあまり、それを手に入れられず不満を持つことになります。
しかし、これはブータンに限ったことではなくどの国も同じだと思います。
『第一次産業に従事したくない。あれもこれも欲しい。あの国へに行きたい。』
そこで僕が考えた一つの幸せの形は「あれこれと期待しすぎるのではなく、小さな幸せを発見して行く姿勢が大切だ。」ということです。
明日、
四つ葉のクローバーを探してみませんか?
夕陽を眺めてみませんか?
あてもなく散歩してみませんか?
自分の好きな人と話をしてみませんか?
お米の美味しさを噛みしめてませんか?
7/11 記
都議選の結果を経て
こんにちは!
なおとです。
先日の都議選では自民党が歴史的敗北を喫し、小池都知事が率いる都民ファーストの会が圧勝したという結果になりました。
数年前の大阪維新の会と似ています。
自民党に不信感が漂っているときに、圧倒的なカリスマ性を持ったリーダーがいる政党がその受け皿となって第一党と躍進しました。
今回の都議選と数年前の大阪との共通点は3つあります。
・第一党となった新党には強いリーダーシップを持った代表がいる
・与党が問題を抱えている。
・地方選挙である。
特にこの3つ目の地方選挙であるという点に注目すると、逆に言えば地方選挙だからこのようなことが起きたとも言うことができます。
圧倒的なリーダーシップと一定の不満を解消させるインパクトがあれば、地方単位であれば大きな影響を及ぼします。
国政という場ではなかなかこのようなことは起きにくいのではないかと思います。
理由としては、やはり物理的な大きさと、国と地方では仕組みが違うということがあげられると思います。
実際、大阪維新の会も国政に進出したものの、合流や解党を繰り返し、現在は力を弱めてきています。
今後都民ファーストの会も国政へ進出していくと思われますが、果たしてこの勢いのまま進んでいくのか、国政という壁にぶつかるのか興味があります。
安倍一強が続く現在、森友学園、加計問題や大臣の失言などによる内閣支持率の低下や自民党内での派閥の変化などで自民党に対する不信感を増えるなか、しかしその受け皿となる国政政党もはっきりしないこの状況で、今回の都議選で都民ファーストの会が躍進を遂げたのは今後の国政に大きな影響をもたらすのだろうと思います。
次の国政選挙ではここ最近の国政選挙とは一味違った結果が待っているかもしれませんね。
7/6 記
ついに憧れの地アフリカへ!
こんにちは!
なおとです。
ブータン6日間の旅を終えて、次はエジプトに向かいます。
これまでたくさんのアジアの国を旅してきました。
大学生になってから、
韓国、カンボジア、台湾、インド、中国、タイ、ミャンマー、マレーシア、スリランカ、ブータン
に行ってきました。
それぞれの国が単なる一つの国ではなく、それぞれ異なる色がつきました。
一度その国を訪れるだけで印象も変わってきます。
次のエジプトからはさらに濃い色がつくのではないかなと思っています。
小学生の頃にハワイに行ったことを除くとアジア以外の地域に足を踏み入れるのは初めてです。
しかも日本からは物理的距離も、心理的距離も遠いアフリカです。
僕にとってアフリカは一つの国のようなイメージで何十とある一つ一つの国のことをよく知りません。
それでも僕はアフリカにどうしても行きたかったのです。
絶対に行きたかったのです。
アフリカに行くことなく死ねないと思っていました。
その理由はある曲との出会いでした。
『風に立つライオン』さだまさし
僕はこの曲を親から初めて教えてもらって、聴いてから「アフリカに行きたい」という気持ちがいつもどこかにあったように思います。
この曲に描かれているアフリカが本当にあるとするならこんなに心を揺さぶられるものはありません。
風に立つライオンを聴いて、僕のイメージが膨らみ、もしかしたら実際のアフリカ以上のものを想像してしまっているかもしれません。
それでも僕は自分の目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、手で触って、肌で感じたいと強く思いました。
日本はなくしてしまった大切な何かがまだそこにはあるアフリカ。
ついに僕はそのアフリカへ行くことができます。
期待が増えていく一方で、イメージ通りのアフリカに出会えるのかという不安、治安や環境に対する恐さもあります。
エジプト、ウガンダ、ケニア、タンザニア、ルワンダには何が待っているのでしょうか?
最後に僕がアフリカに憧れを抱くきっかけになった『風に立つライオン』を紹介します。
知っている方はもう一度、
知らない方はとりあえず聴いてみてください。
7/4 記
なおと世界見聞録(スリランカ編)
こんにちは!
なおとです。
スリランカには3週間の滞在とこれまでで一番長い滞在になりました。
正直に言うと、スリランカに来るまでスリランカのことはほとんど何も知りませんでした。
スリランカの位置もあやふやで、世界遺産のシギリアロックのことも知りませんでした。
そんな僕にとっては遠い存在であったスリランカですが、大好きな国の1つになりました。
インドと似たところも結構ありましたが、インド特有のうざったさみたいなものはありませんでした。
簡単にスリランカの印象を並べていくと、
バスや車がクラクションをならしまくっています。
たまにしつこいトゥクトゥクドライバーやお店の店員に捕まりますが、押しに負けさえしなければ痛い目に遭うことはないと思われます。
カレーベースのご飯が美味しく、紅茶の味は世界一だと思います。
国民の多くが仏教徒で、人に優しくするという考えが根付いているように感じました。
特にワークキャンプでお世話になった村の人たちは自分のことより僕たちのことを常に気にかけてくれ、別れのときには寂しいと言って泣いてくれました。
パッとスリランカと言って思いついたのがこのようなものです。
続いて僕がスリランカに来て驚いたことを書いていきます。
1つ目はリゾート地、スリランカということです。
スリランカと聞いてリゾートだと思う人はあまり多くないと思うのですが、北海道よりも小さな島国ということでビーチがたくさんあります。
僕は日程の都合上、ネゴンボのビーチに少しだけ行っただけなのですが、そのビーチの近くには観光客向けのオシャレな店がたくさんありました。
日本人にとっては穴場のリゾート地としてスリランカに行ってみるのも良いのではと思いました。
2つ目は風景が素晴らしいことです。
事前知識なくスリランカに行ったということもありますが、この小さな島国にはたくさんの壮大な景色が広がっています。
シギリアロックばかりが取り上げられますが、他にもたくさんの息をのむような岩山があります。
期待していなかったところに突如出てくることもしばしばありました。
岩山だけではなく、紅茶農園も綺麗でした。
事前予約をしていなかったので、列車から見える美しい紅茶農園を見ることはできなかったのですが、世界一の紅茶大国であるスリランカでは、綺麗に並ぶ紅茶農園を見ることができます。
スリランカでは、期待していなかった場所に期待以上の美しい風景を見ることができました。
この2つが僕が驚いたことであり、スリランカをオススメしたいところです。
インドはうざそうで嫌だ、
東南アジアとは少し変わった雰囲気を味わいたい、
優しい人が集まる国がいい、
そして観光だけではなくアクティブに遊びたい、
という方にピッタリの国“スリランカ”でした。
6/30 記
僕がブログに写真を載せない理由
こんにちは!
なおとです。
僕のブログを読んでくださる方の中には、写真が見たいと思ってくれる方も若干名いるのではないかなと思っています。
僕が写真を載せない理由は載せ方が分からないからでも、面倒くさいからでもありません。
あえて、載せない選択をしています。
その理由とは…
ブログでは写真に頼らず、言葉でどこまで表現できるのか挑戦したいからです。
最近ではSNS(特にInstagram)の普及により、自分のことを表現する手段として言葉よりも写真を使われることが多くなってきました。
実際僕もInstagramのアカウントを持っていて投稿することがありますが、写真中心なので大したことを書くこともなければ、それに興味を示す人もいないと思います。
それ自体は決して悪いことではないと思うのですが、それに頼りすぎると言葉での表現方法が下手になるのではないかなと思うようになりました。
僕がある絶景を見たとすると、それを言葉で表すよりもスマホで写真を撮って加工した方が見ている人には簡単に伝わります。
時には写真が実物を上回ることもあります。
僕はこの写真至上主義があまり好きではありません。
その人特有の個性は写真よりも言葉の方が目立ちます。
そして深みもあります。
僕の理想は写真を見せながらも、しっかり自分の言葉で表現し伝えていくことです。
その理想のために僕はあえてこのブログでは写真を載せずに言葉のみで頑張っています。
伝わりにくいところ、理解しにくいところは多々あると思いますが、僕の思いを汲み取っていただけると幸いです。
もしブログだけでは面白くない、僕の撮った写真が見たいという方がいらっしゃればこちらにURLを載せておくので覗いてみてください。
6/30 記